溝口健二監督の内弟子助監督、私がした仕事
映画「ぼんち(市川昆監督作品)」
溝口式で考証したリアリズム
平成23年1月~3月
著者 宮嶋八蔵
口述筆記 竹田美壽恵
ホームページ 勝 成忠
このホームページの内容項目
1.映画題名
2.製作年
3.製作意図
4.主体の概略
5.製作所
6.スタッフ
7.キャスト
8.市川昆組の特徴
9.準備稿
10.決定稿
11.「ぼんち」をめぐる人間関係
12. シナリオ・俳優のダイヤローグや脚本訂正時の参考資料
①大阪方言辞典 大阪ことばの会 牧村史陽編
② 阪口祐三郎について (全国花街連盟会長 )
13.セカンド助監督 宮嶋がやった溝口式調べ物紹介
1)原作本の挿絵をトレーシングペーパーに面相筆にて筆写し青写真
に 仕上げたものスクラップブック表紙 ぼんち参考資料A
2)ほえ駕篭大阪大和屋史 十日戎遊君の参詣
3)参考人物関係、仕出し含む
4) スクラップブック表紙 ぼんち参考資料B
5)當世人物、風俗資料として以下の内容を手書きトレース後コピー
して青写真にしたもの
①岡本一平の漫画の描き方
②現代漫画大観 職業づくし
?昭和6年11月 池部均「漫画の描方」
④昭和3年 文学漫画
6)室内、持ち道具などなど
7 )小道具 飾り物など
8)被り物
9)銀座のカフェー 服装採集
10)髪形
11)昔からの街頭商売
12) スクラップブック表紙 ぼんち参考資料3
①大正10年前後女性
②昭和元年~8年前後の女性
?昭和5年以後の女性
④昭和12~13年前後の女性
⑤各画伯図案の草の葉染め
⑥衣裳、髪形
⑦大正15年ハイカラ
⑧その他
⑨昭和14年 松原操 ・昭和8年のニューフエイス
⑩昭和18年頃の女性
⑪「湯の香」伊藤深水画伯筆
14.ぼんち (市川組) ARリスト一部 紹介
15.ストーリーと撮影現場のスナップ写真
… … … … … … … … … … … … …
1.映画題名 「ぼんち」
2.製作年 昭和35年4月13日封切
3.製作意図 大阪船場のぼんちという宿命を負うた1人の青年が、昭和 の激動期、
如何にして生きたかを描こうとするものである。
4.主体の概略 船場の足袋問屋の主人公が、母系家族に反抗し、幾多の女性遍 歴を通じ
大阪商人の土性ッ骨を養ってゆく姿を、鮮やかに描く。
言語、風俗資料は宮嶋八蔵が整理担当したものです。予告篇、特報も宮嶋 八蔵が担当
しました。
5.製作所 大映 京都撮影所
6.スタッフ
製作 |
永田雅一 |
企画 |
辻 久一 |
原作 |
山崎 豊子 (週刊新潮連載 新潮社版) |
脚本 |
和田 夏十 ・ 市川 昆 |
監督 |
市川 昆 |
撮影 |
宮川 一夫 |
照明 |
岡本 健一 |
録音 |
大角 正夫 |
美術 |
西岡 善信 |
時代考証 |
中村 貞以 氏になっていますが私は撮影所では、この時代考証者にお逢いしたことはありません。シナリオ創作での考証ならば私には、わからない事です。監督が大映京都のスタッフルームへおいでになった時には、以下にお示ししますような風俗考証の各部への伝達資料は溝口式リアリズム手法で青写真と共に展示しておきました。監督はそれを見て驚かれたようでしたが、一度は素通りして又、戻って熱心に観察しておられた印象が残っています。 |
衣裳考証 |
上野芳生 大作では衣裳は京都衣裳の専務上野芳生に、小道具は高津商会の専務の名前に なっているのは、両商会のサービスを期待しての大映制作部と企画部の算段 でありました。溝口組のタイトルもこの例の通りでした。 |
編集 |
西田 重雄 |
色彩技術 |
田中 省三 |
助監督 |
池広 一夫 ・ 宮嶋 八蔵 ・辻 光明 ・溝口 勝美 |
製作主任 |
橋本 正嗣 |
音楽 |
芥川 也寸志 |
照明助手 |
三間 光男 |
美術助手 |
上里 忠男 |
記録 |
中井 妙子 |
装飾 |
中島 竹蔵 |
衣裳 |
後藤 定子 |
音響効果 |
倉島 暢 |
7.キャスト
き の |
毛利 菊枝 |
高野 市蔵 |
潮 万太郎 |
勢 以 |
山田 五十鈴 |
和 助 |
嵐 三右エ門 |
喜兵衛 |
船越 英二 |
秀 助 |
伊達 三郎 |
喜久治 |
市川 雷蔵 |
工場主 土合 |
菅井 一郎 |
ぽん太 |
若尾 文子 |
憲 兵 |
浜村 純 |
お 福 |
京 まち子 |
佐野屋 |
志摩 靖彦 |
比沙子 |
越路 吹雪 |
下女中 |
大谷 鷹子 |
幾 子 |
草笛 光子 |
看護婦 |
小柳 恵子 |
弘 子 |
中村 玉緒 |
お針女 |
高原 朝子 |
お 時 |
倉田 まゆみ |
|
山口 まち子 |
君 香 |
橘 公子 |
|
東山 京子 |
春団子 |
中村 雁治郎 |
芸者 |
毛利 郁子 |
太 郎 |
林 成年 |
|
種井 和子 |
内田 まさ |
北林 谷榮 |
|
里中 位子 |
|
|
15歳の太郎 |
佐藤 昌弘 |
8.市川昆組の特徴
撮影が始まると最初の部分ラッシュはキャメラマンはじめとする現場の者、
企画宣伝スタッフも含めた裏方スタッフ、俳優には一切立ちあわさせません。
市川昆監督とシナリオライターの和田夏十婦人2人だけで試写室に閉じこもっ
て観るのです。それが終わるとすぐに、いくつもの箇所の撮り直しや撮り足しが
行われるのです。
こんな贅沢は他の大監督にもされた覚えは一切ありませんでした。
(これでは監督が2人いる事になって夫々の言い分を通していると2度撮らねばなら
ない事になったのです。)
この作品に関しては原作者 山崎豊子先生とのいざこざが監督夫妻とあった 事は後に
知りました。この作品の創作の真実を理解して頂く為にいざこざの 一部を紹介しておきます。
http://www.raizofan.net/link4/movie4/bonchi.htm
原作者 山崎豊子さん
「大阪船場という所は、大阪商人のメッカの様なところで、そこに生きながら富と女の間に生活をかけた1人の土性骨のある大阪商人を描いたつもりです。女遊びでも帳尻を
ぴしりと合わすことだけは忘れない、根性のすわったいわば男性の一つの理想像です。
私がいかに大阪を愛しているか、私の気持ちをお汲みとり下さっていい映画にして下さい。」
監督 市川 昆さん
「原作を消化するにはこれを分析する必要がある。いずれにしても、風俗映画として終わらせたくない。ぼんちという人間像を通して、船場の奥深く隠された精密な生活を描き、時代の流れに抗しえずして、押し流された主人公がかもし出す人間喜劇を狙いたい。
原作者 山崎豊子さん
「シナリオの時から注文したのに…私の書いた『ぼんち』じゃありません。映画『ぼんち』はあくまで市川昆の『ぼんち』です。あれでは、原作じゃなくて、まるで身売りです。
… 。」
もう少し山崎豊子さんと市川昆監督・辻久一さんの言い分を詳しく知りたい方は下記のネットを参照して下さい。
http://www.raizofan.net/link4/movie4/bonchi.htm
宮嶋八蔵の思い
時代の流れに抗しえなかったのは、足袋問屋河内屋のお家はんの「きの」と御寮人はんの「勢以」であった。船場の特異な女系家族に初めて生まれた男性の根性(原作者
のいうぼんち)が女遊びを通じての生き様である。私の思いは原作者に近いと思います。
9.1)準備稿 表紙 2-1 宮嶋八蔵所蔵
2)準備稿 裏 2-2
3-1)準備稿(台本)2-3 私の調べ物のメモ。その一部です。
10.1)決定稿(台本)表紙 3-1宮嶋八蔵所蔵
2)決定稿(台本)裏 3-2 宮嶋八蔵所蔵
3-1)決定稿(台本)の中 3-3 時代考証のこと
時代考証のタイトルに中村貞以氏になっていますが私は撮影所ではお逢いしたことはありません。その為この時の台本には、筋を引いて消しております。
再度映像を観ましたところ、考証欄はありませんでした。
3-2)決定稿(台本)の中 3-4
3-3)決定稿(台本)の中 3-5
3-4)決定稿(台本)の中 3-6
3-5)決定稿(台本)の中 3-7
3-6)決定稿(台本)の中 3-8 調べ物・私の覚え書き
出征兵士を送る時などにうたわれた。
3-7)決定稿(台本)の中 3-9 調べ物・私の覚え書き
3-8)決定稿(台本)の中 調べ物・私の覚え書き
3-9)決定稿(台本)の中 調べ物・私の覚え書き
11.「ぼんち」をめぐる人間関係
12.シナリオ・俳優のダイヤローグや脚本訂正時の参考資料
1-1)大阪方言辞典 大阪ことばの会 牧村史陽編 宮嶋八蔵所蔵
1-2)大阪方言辞典 裏面
1-3)大阪方言辞典 目次
2-1) 阪口祐三郎伝 (全国花街連盟会長)宮嶋八蔵所蔵
2-2) 阪口祐三郎 (全国花街連盟会長)
2-3 阪口祐三郎伝より (大和屋芸妓学校生徒の国税調査を書く阪口大和)
2-4)阪口祐三郎伝より
(昭和7年あしべ踊りに出演の芸妓たちが阪口理事長より役割の稽古札を受ける
挨拶をする。)
13.セカンド助監督 宮嶋がやった溝口式調べ物紹介
スクラップブックは ぼんち参考資料としてA B ③の3冊が残っています。
準備稿もまだ出来てない内から溝口組でやってきたように膨大な調べ物収集に取り組みました。その3冊のスクラップブックの全部を紹介しますと何冊かの単行本にもなりますので総体に省略して紹介します。ぼんち参考資料Aでは原作本(週刊新潮連載)の挿絵をトレーシングペーパーに面相筆にて筆写し青写真に仕上げ、まとめたものから始めます。演技部、撮影部、等々関係各部に配布しました。
1) スクラップブック表紙 ぼんち参考資料A 宮嶋八蔵 所蔵
2-1)原作本の挿絵をトレーシングペーパーに面相筆にて筆写し青写真に仕上げ
まとめたものは50枚あります。その一部を紹介致します。
2-2)
2-3)
2-4)
2-5)
2-6)
2-7)
3-1)
ほえ駕篭大阪大和屋史 十日戎遊君の参詣
3-2-1)参考人物関係、仕出し含む
大阪方言辞典をまとめられた牧村史陽先生宅訪問 牧村史陽先生
3-2-2)牧村史陽先生の家族写真
3-2-3)牧村史陽先生の家族写真
4) スクラップブック表紙 ぼんち参考資料B 宮嶋八蔵 所蔵
5-1)福助足袋の本店店構え
5-2)上段の写真は明治末期 辻本商店店頭の図 矢野橋村氏筆
下段の写真は袴の上に福助の足袋
5-3)足袋屋の従業員 小僧さん
5-4)上段の写真は十日戎の笹 に福助足袋と書いてある。
「商売繁盛、笹持って来い! 商売繁盛、笹持って来い!」
下段の写真は足袋作りの作業場風景
5-5)足袋屋の宣伝ポスター (北野恒富筆)
6-1)當世人物、風俗資料として(岡本一平の漫画の描き方)を手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。 昭和3年
6-2)當世人物、風俗資料として(岡本一平の漫画の描き方)を手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。
6-3)當世人物、風俗資料として(岡本一平の漫画の描き方)を手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。
6-4)當世人物、風俗資料として(岡本一平の漫画の描き方)を手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。
*岡本一平の漫画の描き方 後半省略
7-1)當世人物、風俗資料として(現代漫画大観 職業づくし)手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。
7-2)當世人物、風俗資料として(現代漫画大観 職業づくし)手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。
7-3)當世人物、風俗資料として(現代漫画大観 職業づくし)手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。
7-4)當世人物、風俗資料として(現代漫画大観 職業づくし)手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。
*現代漫画大観 職業づくし 後半省略
8)當世人物、風俗資料として(昭和6年11月 池部均「漫画の描方」)手書き
トレース後コピーして青写真にしたもの。
9)當世人物、風俗資料として(昭和3年 文学漫画)手書きトレース後
コピーして青写真にしたもの。
* 昭和3年 文学漫画 後半省略
13.セカンド助監督 宮嶋がやった溝口式調べ物紹介つづき
10-1)室内、持ち道具などなど
10-2)室内、持ち道具などなど
10-3)室内、持ち道具などなど
*以後室内、持ち道具など省略
10-4)小道具 飾り物など
*以後小道具 飾り物など 省略
10-5)被り物
10-6)銀座のカフェー 服装採集
以後 服装採集 省略
10-7)髪形
10-8)髪形
10-9)髪形
10-10)昔からの街頭商売
上段の写真 小太鼓たたいて歩く街頭あめ売りとアイスクリーム屋
下段の写真 キセルのラオ取り換え直し屋
*昔からの街頭商売 後省略
11) スクラップブック表紙 ぼんち参考資料3 宮嶋八蔵 所蔵
12-1)大正10年前後女性
*以後大正10年前後女性省略
12-2)大正10年前後女性
12-3)大正10年前後女性
*以後大正10年前後女性省略
12-4)昭和元年~8年前後の女性
*以後昭和元年~8年前後の女性省略
12-5)昭和5年以後の女性
*以後昭和5年以後の女性省略
12-6)昭和12年~13年前後の女性
*以後昭和12年~13年前後の女性省略
12-7)各画伯図案の草の葉染め
*以後各画伯図案の草の葉染め省略
12-8)衣裳、髪形
12-9)衣裳、髪形
12-10)大正15年 ハイカラ
12-11)大正末期、昭和初年カフェ・昭和2年銀行取付騒ぎ
12-12)昭和4年 大阪の大衆食堂・動物園のおのぼりさん
12-13)昭和14年 松原操 ・昭和8年のニューフェイス
12-14)昭和18年頃の女性
12-15)昭和18年頃の女性
12-16)「湯 の 香」 伊東深水画伯筆
14. ぼんち (市川組) ARリスト一部 紹介
15.ストーリーと撮影現場のスナップ写真(写真は宮嶋八蔵所蔵のもの)
左から倉田まゆみ・中村雁治郎・中村玉緒・市川雷蔵・若尾文子
船場の足袋問屋河内屋のぼんち喜久治(市川雷蔵)は、57歳の現在、妾の子、太郎(林成年)に養われる境遇である。だが、その心の底にはうつぼつたる商魂が漲っており、時代の大きな流れが彼の考えなど押し流してしまったのに気付かず、旦那気分に浸っては、下手な落語家春団子(中村雁治郎)などに昔を語るのを愉しみにしている。
四代続いた船場の足袋問屋河内屋の1人息子喜久治は、23歳の時、祖母きの(毛利菊枝)母勢似(山田五十鈴)にすすめられ、砂糖問屋高野屋から弘子(中村玉緒)を嫁にもらった。河内屋は三代も養子旦那が続き、喜久治の父喜兵衛(船越英二)も番頭上がりである。その為、屋内をしきる、きのと勢似の力は絶対で無気力な喜兵衛は女どものいいなりになり、商売一途に気をまぎらわせていた。
ぼんち喜久治(市川雷蔵)・ 父喜兵衛(船越英二)
嫁の弘子をきのと勢似は、船場のしきたりとか、家風とかで、じりじりとしめつけた。弘子にはそれが耐えられなかった。そんな弘子に優しい言葉をかける喜久治に、弘子は身悶えして訴えた。「自分が便所に行ったあと、必ずきのと勢似とが便所に行き、月のものの有無を確かめている。」というのである。
妊娠した弘子は、病気と偽って実家に帰り、久次郎(五代・鶴見)を生んだ。家風を無視されたきのと勢似は躍起となり、弘子を離別するようにはかった。この二人の女の身勝手さを喜久治は、ただ傍観するのみ。
弘子(中村玉緒)・ 母勢似(山田五十鈴)
昭和5年、父喜兵衛はふとした風邪がもとで寝込んでしまった。めっきりと弱った父
嘉兵衛は、喜久治に「気根性のあるぼんちになってや、ぼんぼんで終わったらあかんで」
とこんこんと諭すのだった。弘子を離縁してからの喜久治は新町の花街に足を入れるようになった。待合冨の屋の娘仲居幾子(草笛光子)は、何かと喜久治に好意をよせ、経済的な遊びの方法を教えた。その幾子の口から喜兵衛に妾のあることを知った喜久治は、その妾君香(橘 公子)を付添婦として、父の病床につけた。だがこの思いやりも甲斐無く、喜兵衛はきの、勢似に詫びつつ死んだ。君香の正体を知って躍起になるきのと勢似に、喜久治はこれも船場のしきたりだ、と冷たく言い放った。
父の死によって喜久治は五代目の河内屋の旦那におさまり、その襲名の宴を料亭浜ゆうで派手に開いた。この席をとりしきったのは仲居頭のお福(京マチ子)である。お福の色白の惚れ惚れする餅肌に、きのと勢似は魅せられ、この女を喜久治にとりもち娘を生まそうとひそかに画策した。祖母たちの身勝手さにたまりかねた喜久治は、待合金柳で、芸者ぽん太(若尾文子)と出会った。ぽん太は十本の指に、ダイヤ、ルビー、エメラルドなどの指輪を、ぎっしりと集めている風変りな芸者である。喜久治は即座に「わいが今日から指輪一本にしたるで」と、ぽん太をやんわり抱くのだった。
監督 市川 昆・ぽん太 若尾文子
妾となったぽん太は、しきたりに従って、本宅伺いに現れた。親子二代の芸者だ、と誇らしげにいうぽん太に、さすがの勢似も気を呑まれた。一方喜久治は幾子が芸者に出たことを知るや、彼女を早速、鰻谷に囲ってしまった。ぽん太と違って万事地味作りの幾子は、喜久治を喜ばす事だけを考える女だった。丸髷を結った幾子をみていると、喜久治は妾宅に来ているのをふと忘れるほどだった。
ぽん太に男の子が生まれた。これを知ったきのは、五万円の金で生まれた子と縁切りをしてくるよう、冷たく言った。金で親子の縁を切る、さすがのぽん太もこの無情なしきたりに涙した。
上の写真 市川雷蔵さんの左側黒のベレー帽子を被っているのが助監督宮嶋八蔵です。
支那事変が始まり世の中は、不景気の一途を辿っていた。喜久治は、道頓堀のカフェ赤玉で、競馬に夢中の女給比沙子(越路吹雪)をみつけた。芸者遊びしか知らない喜久治には、思った事をずけずけ言う比沙子が新鮮なものに見えたのである。ひっそりと鰻谷の妾宅に納まって幾子も33歳になった。厄年に初産を迎える幾子は女の厄除けの信心に夢中である。その幾子の口から厄除けの七色の紐のことを聞いて喜久治は、早速、七色の足袋の製造にかかった。だが、この思惑は見事にはずれた。
右 仲居 幾子(草笛光子)
内心面白くない喜久治は、一日、比沙子と共に淀の競馬場に現れた。帰途、比沙子のアパートで喜久治は突然に発熱した。ようやく快方に向かった喜久治は、幾子の急死を知らされた。難産の後、子癇を起こしたのである。哀れな幾子の事を思うと、喜久治はじっとしておれない。だが、妾の葬式を旦那が出してやることは、しきたりが許さない。喜久治はやつれた身体を引きずるようにして、浜ゆうに現れ、お福のはからいで、
二階の納戸部屋から、幾子の葬式を見送った。初めて自分の女を死なす悲しさに、男泣きに泣く喜久治を、お福は自分の身体を投げ出して慰めてやった。
真ん中 女給比沙子(越路吹雪)
支那事変から太平洋戦争へ。喜久治は灯火管制下にも、妾の家をこまめに廻りつづけた。
途中憲兵につかまったりして、非国民呼ばわりされたが、喜久治はへこたれなかった。
そんな喜久治を下請け工場主土合は感心するのだった。
戦争が激化して、大阪も空襲に見舞われるようになった。喜久治は嫌がるきのと、勢似を有馬へ疎開させた。だが遂に、船場も爆撃で火の海と化した。間口十間の大店舗を誇った河内屋も蔵一棟を残して全焼してしまった。茫然と佇む喜久治の許へ、ぽん太が身体一つで現れた。続いて比沙子、お福もやってきた。皆が煤だらけの顔で、眼ばかりギラギラさせている。睨みあう女三人を蔵の二階へ追い上げ、前後策を練る喜久治の前に女中のお時(倉田まゆみ)に手をひかれた、きのと勢似と久次郎が帰って来た。船場だけをよりどころにしてきたきのは、船場が焼けたと聞いて、じっとしておれなかったのである。狭っ苦しい一つ蔵の中で寝ている、祖母、母、息子、妾3人の寝姿をじっと見ていた喜久治は、突然何を思ったのか、皆を叩き起こし、金庫の金を出して等分に分け、この金を持って河内長野の菩提寺へ行ってくれと言った。翌朝きのは、西横堀川に水死体となって発見された。絶望のあげく自ら身を投じたのである。
漸く戦争も終わり、商売の立て直しに明け暮れていた喜久治は、ふと、河内長野にいる、三人の妾がどうしているかと気にかかった。八月の暑い盛り、預けてある菩提寺を訪れた喜久治はその風呂場で、のびのびとしたお福、ぽん太、比沙子が嬌声をあげながら入浴しているのを、かいま見た。「これからは株の時代や、大阪へ出て株をやりたい」という比沙子。「屋形に二、三人の抱え妓を置いて商売しまっさ」というぽん太。「残りの金でのんびりここで暮らしまっさ」というお福。勝手にしゃべりまくる、三人の女のあけすけの姿を、じっとみつめていた喜久治は、そのまま女にも逢わず大阪へ帰った。今までそれぞれに味のあった女が、単に女という肉体をもった生物としかうつらなかった。これで放蕩も終わりだと、さっぱりした気持になっていったのである。
右端 仲居頭のお福 京マチ子
昭和35年三月、今は57歳の喜久治ではあるが、彼は彼なりに商売に対する夢を抱いている。だがぽん太の子、太郎は今さら足袋屋でもないと、喜久治を嘲笑するのだった。
(ストーリーは公開当時のプレスシートより)
(ストーリーはhttp://www.raizofan.net/link4/movie4/bonchi.htmより)
終り