著 者 | 宮嶋 八蔵 | |
口述筆記 | 竹田美壽恵 | |
HP担当 | 勝 成忠 |
■準備稿で 「金色衣装」という題名になっていたときのシナリオ拍子
■「祇園囃子」と題名が改められた改訂版シナリオの表紙
■「祇園囃子」と題名が改められたシナリオの裏表紙 (宮嶋君のサインが入っている)
■シナリオのトップ 題名と製作所 大映株式会社の社名が記されている
■企画・原作・脚本・監督・撮影 それぞれ担当者の氏名が3ページ目に
■人物のトップに木暮実千代、若尾文子、進藤栄太郎その他の出演俳優の配役の一覧
調べ物の中には色街の通行人(仕出し)や、この花街のしきたり、慣習など映像にしなくても調べなければなりません。俳優さんはクランク以前から宿をお茶屋さんにとってその雰囲気を勉強していました。客の品定めとして、履物が玄関の上がり框に向かって靴先を向けて脱いだ客は入り船さん、靴先を表玄関に向けて揃えて行儀よく脱いである客を出船さんと呼んで仲居さんや店の男衆も履物の脱ぎ方で客の生活状況を知るのです。
チャプター毎を主体として書いていきたいと思います。
1.オープニング
2.舞妓志願の娘
1)最初の場面は祇園町の情景の中へ主人公の若尾文子が入って来る所から始まります。情報伝達の基本は、いつ、どこで、誰が、何を、どうしたという5つの条件です。
私は18歳の時に入った海軍の甲飛出身の偵察員パイロットでありましたから、その情報伝達については身に染み込んでいます。
「ギス」という虫売りが通りますから季節が分ります。その次は「美代春の舘」から始まっています。どこでの場所は映像で分ります。唄にある「それだから、僕が忠告したではないか、芸者の親切は雪駄の裏の鉄(カネ)。金のある内はねえ、ちゃらちゃらと。銭がなくなりゃ切れたがる。」(雪駄の裏には、鼻緒の結び目の上に、小さな鉄板が打ってあります。雪駄の裏は滋賀県の瀬田の浦に引っかけています。金は石山寺の鐘に引っかけています。切れるは縁が切れることで、鼻緒が切れてしまうということに引っかけています。色街は金と色欲でなっているということ……。トップの芝居場は「美代春の舘」で先の唄と全く同じ事を芝居に組んでいます。
2)「美代春の舘」で男衆をしている、曾我廼家弁慶について言いますと、第1稿の準備中に彼から溝口先生へ「使って欲しい」と連絡がありました。彼はその昔の作品の「祇園の姉妹」に男衆(おとこし)として出ていたのです。先生から「今度は君の役はないから、断りなさい。」と私に言われたのですが、私の連絡が届かない内に彼は京都の撮影所に来てしまいました。それで気の毒だとの思いで使われたのです。それ程愛のある先生です。
3)この頃の撮影所
この頃撮影所では、ヒロポンが流行っていました。制作部にも、現場のスタッフ、俳優部にも何人か中毒患者がいたのです。中毒患者は顔色がどす黒くなって、急に興奮したり、静かになったと思ったらバタッと転げていたりするのです。その祇園囃子のラッシュの時でした。どす黒い顔をした木村恵美さんがラッシュ(撮影済みフイルムの未編集又は、編集している部分試写をすること。)の途中に奇声を発してひっくり返ってしまいました。溝口先生にもそれがヒロポン中毒だということが、分かって「常識外の病人と仕事はできん。」激怒されましたので、記録の木村恵美さんが狂ったように反逆して、編集部との連絡をしないのです。
■溝口監督と依田さんこのスナップにも思いがあります その折に依田さんがお見えになりましたが、ラッシュをお見せすることが出来ないので、私が絵コンテ用紙の絵の枠をくりぬいてネガから採ったポジフイルム(カットの前後の使用しない一コマ)を貼り付けたものを見ておられるのです。
こんな事がありましたが、溝口先生は木村恵美さんを外さないでスタッフと一緒に仕事をさせました。仕事を続けさせた事が中毒からの脱出に繋がったのです。それ以後の溝口組の京都作品にはずーと木村恵美さんが記録の仕事をしているのです。
木村恵美さんは溝口先生の直弟子である坂根田鶴子さんの教え子でありましたのでそれを聞いた坂根田鶴子さんは「先生はやっぱりあったかいねえ」と喜んでおられたのを思い出します。
4)新藤兼人監督の「ある映画監督の生涯」の中で進藤栄太郎さんが「楊貴妃」に出演している入江貴子さんを制作途中から外した事について「『役者が撮影途中で外されると入江貴子さんの将来が駄目になる』と溝口先生に文句を言った。」と言わせています。しかしその文句に対しての溝口先生の返事があったはずですが、抜いています。新藤兼人監督の誘導質問で制作されていますが、都合の悪い質問内容を抜いたり入れたりして、溝口監督が頑固で、強情、意地が悪い、奇人、変人、ごてる人、それに加えて人情がない人という印象を創作しているのです。新藤監督は溝口監督の弟子だと言っていますが、シナリオ作家の依田義賢さんに伺っているところでは「弟子でも何でもあらへんよ。」ということでした。溝口監督は真実を追求してウソをつかないのが真情です。ドラマの中でも、嘘を嫌った人でした。嘘をつかない徹底した調べ物が溝口組の特徴です。
話を本筋に戻します。祇園囃子の後半を見て戴く為に私の参考資料ノートから入ります。
<遊びの場面>
色と欲と金次第の町、この祇園で遊ぶ為のお金、花代についての調べ、この花代等の調べは直接映像作りには関係ないと思われるでしょうがこのような調べ物がリアリズムの溝口作品を支える大きな心棒になっているのです。
舞妓の花代調べ 宮嶋
<進藤栄太郎さんの中風について>
進藤栄太郎さんの芝居の準備は、撮影所に入った時から始まっていました。役の中での中風は脳出血後に残る麻痺状態があり右手が振戦するのです。会社の門をくぐった瞬間から右手を震わせておられました。私が「おはよう」とあいさつした時も声は中風の震え声であいさつを返されました。その一生懸命さが他の俳優さんにも影響していたのです。
溝口先生が亡くなった後、大映京撮では、鈴木アキナリ所長が予算課出身の「値切り松」という渾名の松原制作部長を怒鳴り上げるヤクザなような怒声が門前の通りまでも聞こえるようになりました。社員からも「いやだねー、これが映画文化を作ったとこかいなー」と不平の声もありました。
この怒鳴り声から、溝口先生が残された映画創作の魂も制作現場スタッフの溝口組も散りじりに配置転換させられていくのです。鈴木所長は労務労政部長も兼ねていました。そのことに関しては大映京撮芸術作品滅亡論として最終編で話します。
3.お稽古
舞子になる女性は、置き屋の雑仕事の他、女紅場という教室で鳴り物(太鼓、鼓、三味線、金、笛、鳴り物一切)生け花、踊り、等等映像で追っています。日本で一番古い高等女学校、京都にある府立第一高等女学校も設立当時は女紅場と呼ばれていました。
4.見世出し
舞妓として初めてお座敷へ出る為のお茶屋さんへのあいさつ回りのこと。
5.お披露目当夜
6.アプレ(戦後派)舞妓
舞妓の髪型も水揚げ前(処女)とその後とは髷が違うのです。水揚げ前は「福あげ」水揚げ後は「割れしのぶ」と言って髷に隙間が入るのです。水揚げの事を別名「お剃刀(おかみそり)」と呼ばれていました。
舞妓の扮装テスト
舞子の髪型
本願寺系統のお坊さんでしょうか。昼間は得度式といって、仏門に入る男の子の頭にカミソリを当てて式を行っているのですが、そのお坊さんが夜は舞子の水揚げで破瓜するので、その水揚げを別名「お剃刀り」と言われていることも調べる中でわかるのです。
7.上京
①男衆が舞子、芸者の着物を着せる。
②溝口監督は、スタッフの心情の中だるみを締める為の注文がこの作品にもありました。
・河津清三郎さんが若尾扮する舞子に唇を咬まれて倒れる寄りの場面でその衝撃で持参のゴルフバックもキャメラ前に横倒しになります。そのゴルフ道具にもダメが出て上加茂ゴルフ場に置いてある川口松太郎さんの立派なゴルフセットを借りてきてOKとなりました。これは、カメラ前を瞬間に横切るだけですから、何でもよかったと思うのです。
・救急で入院した病室場面では、スタッフが気を利かせて極上の清水焼の湯飲みを持って行ったが「違う!」とダメが出ました。小道具が何回も準備した湯呑にクレームが入りゴーサインが出ない。私が大映社員食堂の安物湯飲みに「大映」という字を消し病院名に変えたのを持って行ってOKになりました。湯呑は画面上、決して目立つ所ではなく床頭台の片隅に置いてあるものでした。
溝口監督は、スタッフの心情の中だるみを締める為とリアリズム(会社の社長が安物のゴルフバックを使っている訳はない、救急で入院した病院に清水焼の上物湯呑が用意されている訳はない。)を忘れるなという注意であったと思います。
8.出入り差し止め
電話も芝居をします。芝居を観てその芝居に合わせて電話のブザーを鳴らすのです。それは助監督の私の仕事でした。
≪宮嶋君のシナリオには、猛烈な書き込みが≫
9.零落れ
10.身代わり
11.襟替え
舞子または半玉(芸者の卵)が一人前の芸妓となること。
試写の後 先生に「今度のクランクアップは早かったですね」と申しますと「これは単なる色街のスケッチだからねえ」というお返事でした。
≪ノートに残っていた私のメモ≫
≪若尾文子と溝口監督≫
≪左から 宮川カメラマン、若尾文子、溝口監督≫
*****************************************************************
封切り後のこと
祇園町からこの映画に対して「溝口は今後祇園には入れささぬ」という嫌がらせの文句が有りました。先生は平然として「セックスと金の渦巻きを除いて花街が描けますか」と
おしゃっていました。今はどうなっているのでしょうか。
口述筆記 竹田美壽恵
平成19年8月26日
********************** 「祇園囃子」 終わり ****************
TOP