華岡青洲の妻   

           (チーフ助監督と風俗考証を兼ねる)

        昭和42年 芸術祭参加作品  

    著 者  宮嶋八蔵

口述筆記 竹田美壽恵

HP担当 勝成忠

 

1.映画題名 華岡青洲の妻

   

    華岡青洲の肖像画

2.クランクイン 昭和42年8月12日

  クランクアップ 昭和42年9月30日

  東京にてロードショ 昭和42年10月14日

全国一般封切 昭和42年10月28日

3.内容

   青洲の麻酔人体実験に身を捧げた妻と母の涙ぐましい献身のかげに、青洲への愛を争う二人の女、嫁と姑の鮮烈な葛藤を描いた文芸大作。

4.スタッフ   

製作

永田雅一

企画

辻久一

原作 

有吉佐和子

監督

増村保造

脚本

新藤兼人

撮影

小林節雄(若尾文子さんの姉の御主人)

録音

大角正夫

照明

美間博

美術

西岡善信

編集

菅沼完二

助監督

宮嶋八蔵

製作主任

西沢鋭治

音楽

林光

衣裳考証

上野芳生

 

出演者

市川雷蔵

華岡青洲

木村玄

妹背米次郎

若尾文子

加恵

南部彰三

加恵の祖父

高峰秀子

於継

舟木洋一

湯浅義玄

伊藤雄之助

華岡直道

沖時男

商人

渡辺美佐子

小陸

小林加奈枝

取り上げ婆さん

丹阿弥谷津子

佐平次の妻

上原寛二

中川脩亭

原千佐子

於勝

井藤清

 

浪花千栄子

加恵の乳母

暁新二郎

毛利尚斎

内藤武敏

妹背佐平次

高木峰子

 

伊達三郎

下村良庵

滝のぼる

 

田武謙三

大阪薬種商人

杉村春子

語り手

5.台本 

    市川雷蔵ファンクラブ「RaiF-Cub」主宰の三輪昌子様から

寄贈して頂いた台本

 

太秦病院の和田院長さんにこの映画製作でお世話になりましたので

クランクアップ、試写終了の後お礼に私の台本を貰って頂きました。

ブログの中の「団子串刺し式、私の履歴書」とも重なるのですが、大映助監督生活の終りは「華岡青洲の妻」でした。会社の門を潜って直ぐの所に

ある所長室から怒鳴る大声が聞こえてくるのは、ここが映画芸術を創作するところかと心底嫌になっていました。

常にその所長とは折り合いも悪く、ある日、面と向かって「怒鳴るだけで、映画は作れませんよ。ここは羅生門、雨月物語、山椒太夫、地獄門と世界の賞を取った撮影所です。表門に近づくと所長の、やくざ声がたまらないと皆が言うています。」とやってしまいました。その所長の命令を受けた

ネギリ松の制作部長は私を監督部(準備の調べ物、調査と調整など)の仕事から制作部(撮影に関する経済を主体とする事務処理)へ転部させようと随分この仕事の邪魔をしました。増村監督は溝口組での先輩で仕事も一緒にしてきた仲です。京都の仕事の場合は私が助監督を務めることになっていたのに、ネギリ松の制作部長は他の助監督を勧めたのです。

 私はチーフ助監督と風俗考証担当とのオーバー労働で会社にサービスするのはもう嫌だと思っていたのですから、増村監督にはすまないと思いながら黙っていました。増村監督から私へ「ネギリ松にね、僕は助手さんは誰でもいいんだけれど、その助監督は宮嶋君と同じ仕事ができますか?制作部長は推薦の責任は取れるのか、と言うておいたけれど、おっさん… どうしよるかなぁ」という電話がありました。その後直ぐに私にチーフ助監督の仕事を回してきたのです。ひとごねして部長の野郎ッ苛めてやろうかと瞬間思ったのですが、止めました。私も仕事らしい仕事に飢えていたのです。まだスタッフも組んでいない時から宣伝部は動き出します。華岡青洲の医療器具など遺品の有る和歌山医大行きのバスを出すのですが、制作部からの私の所へ連絡はありません。故意に知らせないのです。宣伝部の友人の知らせで駆けつけた時にはバスは動き出していたのですが間に合いました。知恵のない小餓鬼の苛めに無性に腹が立ちました。

 この作品の資料収集と調整に使った日数は僅か十日でした。若い入社したての助監督に溝口組の準備方法を叩きこみました。彼らも素直で、レフクレシチョフの映画演出法講座に「助監督は調べものから始る」と書いてあるのを実体験したでしょう。

 一作品に助監督は今まで4人つけていたが3人にされていたところ、この組にはセカンドに中西忠三助監督を一名追加して4名にし東京から増村監督の助監督が入り5名となりました。私が選んだのは「よしのし言葉」が解る和歌山出身の若い新人助監督2名です。

私が退職した事によって今回の作品で現場の映画作り(溝口監督の映画作法)が最後となりました。

6.原本 「医聖 華岡青洲」を読むところから風俗考証の仕事が始まります。

   著者 森 慶三識

  

   表紙に蔓陀羅崋(俗称ちょうせんあさがお)が描かれている

  青洲は蔓陀羅崋を主成分にした麻酔剤を完成し「通仙散」と命名した


 

原本「医聖 華岡青洲」の目次 ①

 


原本「医聖 華岡青洲」の目次 ②



原本「医聖 華岡青洲」の目次 ➂

 

 

原本「医聖 華岡青洲」の紹介 ①


原本「医聖 華岡青洲」の紹介 ②


  7.香盤  宮嶋八蔵所蔵の分

 

 後の香盤省略する

8.①宮嶋八蔵助監督ノート表紙

 

②宮嶋八蔵助監督ノート内容 その1

 

 

➂宮嶋八蔵助監督ノート内容 その2

 

④宮嶋八蔵助監督ノートその3

 

 

⑤宮嶋八蔵助監督ノート その4

    風俗考証を教えて頂ける先生方

 


宮嶋八蔵助監督ノート以下省略


9.①登場人物の年代経過表その1

 

 登場人物の年代経過表省略

②登場人物の年代経過表その2

 


登場人物の年代経過表省略

10.妹背家関係 衣裳帳及び行列 省略

11.衣裳番数帳  省略

12.①和歌山県田邊地方の婚姻、誕生、葬式調べ その1

 

 

 ②和歌山県田邊地方の婚姻、誕生、葬式調べ その2


➂和歌山県田邊地方の婚姻、誕生、葬式調べ その3


④和歌山県田邊地方の婚姻、誕生、葬式調べ その4

 

後、和歌山県田邊地方の婚姻、誕生、葬式調べ省略

13-1.スタッフ裏方の教育用 調べ物

    日本固有の漢方医の診療関係、薬局その他全容の佇まいの調査

 資料写真①

 

 資料写真②

  

     

  資料写真➂




 資料写真④


 資料写真⑤

 

資料写真⑥

 

資料写真⑦

 薬箱

資料写真⑧

 

資料写真⑨

 煎じ薬袋

資料写真⑩

資料写真⑪

 

資料写真⑫



資料写真⑬
    

資料写真⑭

資料写真⑮

 

資料写真⑯
  

 

 資料写真⑰
  

 

資料写真⑱

 医療器具などの種類を調査し映画の中では青洲の治療関係の小道具部の参考

にもしています。


資料写真⑲

 


資料写真⑳-①

 

資料写真⑳-②



資料写真⑳-➂



資料写真⑳-④




13-2.スタッフ裏方の教育用 調べ物

1)華岡青洲の扱ったいろんな外科疾患  


①華岡家治験図よりコピー 

       肉瘤                肩風


②華岡家治験図よりコピー 

    湯火傷                    火傷


➂華岡家治験図よりコピー

   血痣(現在の血管腫を指す)

 

④華岡家治験図よりコピー 

 血瘤(血管腫をさすと思われる)  虫胞


 ⑤ 華岡家治験図よりコピー

    下唇破裂            走馬疳(現在の水癌を指す)

⑥ 華岡家治験図よりコピー

  口痔            舌疽

舌疽「舌疽については古人も非常に難病で治し難いものであると述べている通り、

 真の舌疽では百発百死する。しかし治療方法が皆無であるというわけでなく、

 百人中治癒するもの1人位であるが……治療は試みてみるべきである」と青洲    

 は言われている。


⑦ 華岡家治験図よりコピー 

   菌毒                  菌毒


⑧華岡家治験図よりコピー 

   血痣(現在の血管腫を指す)     舌瘤


⑨華岡家治験図よりコピー
 

髪瘤                 脂瘤(淋巴腺炎・淋巴腺膿瘍)

(髪の生える処へ出来、毛を包み込んでいる)


⑩華岡家治験図よりコピー
 

                   多発性軟性繊維腫


⑪華岡家治験図よりコピー 

       大斗疝「陰嚢象皮症の巨大なもの」  大斗疝手術

 

⑫ 華岡家治験図よりコピー
 

脱疽の手術


*スクラップブックには77症例の写真を収納していますが上記の写真以外は

 省略しました。



14「華岡青洲の妻」物語



1.

紀州。名手本陣と呼ばれる士分格の家に生まれた加恵は、子供の頃から、美しく賢い女と憧れていた華岡家の於継に、医家の嫁にふさわしいと切望され、自らすすんで嫁いだ。


 妹背家の玄関

 
   

     華岡家の座敷にて 結婚式


 2.

夫になるべき青洲は当時京都に遊学中で、花婿の代わりに本草綱目という薬草の本と結婚式をあげ、三年後の帰郷を待つのであった。華岡家は貧しく青洲の学資作りに一家の暮しは切りつめられ、女たちは機を織らねばならなかったが、於継のあたたかい目に守られ加恵は幸せな日々を過ごした。


  於継と加恵


於継と加恵 


 3.

しかし青洲が帰って来たとき、夢は打ち破られ一変した。於継のすべての振舞いに、息子を嫁に渡すまいとする母の意識がのぞき、加恵は敬慕していた於継に敵としての闘志すらわき立たすのであった。そして嫁と姑の間には、目に見えぬすさまじい愛への争いがくりかえされていくのだった。

  父の直道が死に、妹の於勝が乳ガンで死ぬ。



於継は雲平に「学資を作る為於勝と小陸が二人で木綿を織ってくれた」と加恵の
名は
言われなかった。



 雲平が帰郷した日、押し入れから布団を出して敷いている加恵に於継は

  「今夜は1人で」と襖をピシャリと閉める

 於継より視線をそらしたまま「今夜は、雲平さんの所へ行きなさい。」と…

4.

青洲は自分の未熟が腹立たしく、すべてを投げうって手術を成功させるための麻酔薬の完成にぼっとうした。犬や猫を使っての動物実験がくり返された。ようやく実験に成功したものの、人間に試すことの難題に青洲はぶつかっていた。





 小姑の小陸と於勝      於継「(鋭く)まあ、何をするのです。」

加恵「旦那様が、厨の天井で干すように仰有ったのです」


実家へ里帰りして出産することになった        加恵と実母


加恵「お母さん(於継)のきれいは、うわべばっかりや。腹の底は冷たくて、…」

  加恵の実家へ青洲と於継が出産見舞いに

5.

  それを察しない母と妻ではなかった。於継と加恵は青洲につめ寄り、人体実験に使ってくれと争った。「私を先に……」、だがそれも青洲を独占するための嫁と姑の異常なまでに激しい争いだった。青洲は二人に試した。




6.

於継も加恵も勝利感と死の背中合わせの中で、

青洲が差し出す麻沸湯を飲んだ。何度も違った調合による麻酔薬が出来るたびに、実験がくり返され、ようやく人間に使える麻酔薬「通仙散」が完成した時、 加恵は薬毒がまわって失明していた。於継もほどなく病気になって死んだ。

 文化2年10月13日、青洲は、全身麻酔による乳ガンの手術に成功した。

  ヨーロッパの医術に先立つこと40年、世界最初の大偉業であったのである。

 加恵は68才で静かにひっそりと青洲に看取られて歿した。 

 青洲と加恵の子 小弁ちゃんの葬列

奥の納戸座敷で加恵は、悲嘆に意地も張りも消え失せた如く、於継の前に、

 涙にくれている。


小陸の首筋に血瘤が出来る

小陸「義姉さん、男というものは凄いものやと思いなさらんかのし。お母さんと義姉のことを、兄さん程の人が気付かん筈はなかったと思うのに、横着に知らんふりを通して、お母さんにも義姉さんにも薬飲ましたのです。…」


新築された診療所を青洲は盲目の加恵の手をとって案内する。

(オープンセットにて)



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