山椒大夫

     
                                                                                平成19年12月    
   著  作  宮嶋 八蔵
   口述筆記  竹田美壽恵
   HP担当   勝 成忠
     

私が大映入社して4年目で、私が29歳の時の仕事でした。

 

 製作  1954年(昭和29年作)
 製作意図  森鴎外の小説「山椒大夫」により古い時代の社会制度の矛盾から生まれる様様の悲劇を抽出し、今日のヒューマニズムに訴える作品を制作したい。

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1.映像の説明に入る前に溝口組の映画「山椒大夫」の製作順序を紹介します。

1)「山椒大夫考」を作ることから始まります。 

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2)「山椒大夫」という物語の撮影資料として

 ①「山椒大夫」年表・解説  


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②「山椒大夫」物語時代の社会、経済、物価、生活、風俗、政治、軍事、宗教、
その時代の実際の天皇と重要人物、物語の人物の歴史年表作りをします。  

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3)台本を紹介します。 

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①未定稿  

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②第一稿 ロケハン、モップ人物記入  

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③第二稿   

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④決定稿   

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○上記のような資料のように決定稿が出ても改訂稿が出ます。その改定稿も撮影現場で
改正される事があります。


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 ・この作品の、シナリオスタッフとして八尋不二さんを先にして依田義賢さんが2番手に書かれ
ています。前に「団子串刺し式、私の履歴書」の中のパート4「映画製作の現場風景」でも述べ
ましたが、八尋不二さんの第1回シナリオ本読みで溝口監督が八尋不二さんに「御苦労さまでした。
大変だったでしょう……人間を描くのは難しいですねぇ……この脚本には生きた人間は一人も
出て来ませんねぇ……」と言って台本をお返しになって以来、八尋不二さんはこの作品にはノウタッチですが八尋不二さんは、伊藤大輔監督を中心とした鳴滝組という仲間の一人であり、時代劇作家としては有名でありましたのでシナリオにも作品のフイルムタイトルにも載せてあります。
このように映画の裏方スタッフのタイトルは、ええ加減で信用できないものです。

 ・シナリオがクランクしてからも変わっていく様子をはっきり理解して頂くためには膨大な資料コピーになりますので一~二枚のコピーに留めています。
4)様々な準備は助監督の井上明さん、私、宮嶋八蔵、鍋井敏宏さんと一緒にやりました。参考資料は殆んど溝口先生の私蔵本と立命館大学教授の林屋辰三郎先生の指導によります。こういう資料準備は他の組ではやりません。実証的な歴史風俗その他実証的な調べ物を逃げ
る大監督が殆んどでした。
 セットも芝居もデフォルメして特殊な語り口の市川昆監督は実証を逃げませんでした。
衣笠貞之助監督は歌舞伎俳優出身でしたからでしょうか実証を嫌いました。5)私のノートを見て下さい。


 ①ノート表紙 資料8


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②参考図書一覧 (ノートP.3) 


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(ノートP.3)

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6)香盤について 
①ロケ、オープンセットとセットに分け場面毎にシーンナンバーを書いて、撮影時間とそのシーンの出役、小道具が書かれている。
②香盤は決定稿が出来てから一番下の助監督が作ります。


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【調べ物の例】


7)ノートで紹介しましたように、調べ物が終わりますとその資料を基に各役のキャラクターと
芝居、場面を考えて衣装調べ、衣装合わせ、ズラ(かつら)合わせ、メークも合わせた扮装
テスト、と主役から特殊仕出しに至るまでの扮装テスト、写真を撮るのです。
・調べ物の一例をあげておきます。 資料11-1.11-2.11-3

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人さらいの巫女 俳優は毛利菊枝さんが演じています。その他絵巻物より、大学で撮った
小道具写真、扮装テスト、人の縛り方、家屋の佇まいなど雑然としていますが、調べ物の
種類は絵で解って頂けるかと思います。どんな細かいものまでも調べなければいけないのです。


■以下資料も全部宮嶋が調べて書いたものです。(美術部ではありません)    


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【扮 装 テ ス ト】


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                       ★
                        ★

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2.「山椒大夫」の映像からの説明はチャプター毎にしていきましょう。


1)<オープニング>  

  奈良、平安時代以前からの国分寺の柱の礎石から始まりました。権威と歴史の象徴か、昔の話ですよと断って物語が始まるのです。

Keni

            【権威の象徴】

2)<無官><慈悲の心>

(1)越後の山路 

Echigo

           【越後の山路】


・越後の山路として設定されているロケ地は奈良の奥山、依水園・飛火野で黒澤監督が撮影された「羅生門」と同じロケ地です。カメラマンの宮川さんが推薦され決まったものです。

       ・ここで厨子王の父、正氏が何故島送りになったのか語られています。そして
        厨子王は小さかった頃を回想しています。
       ・社会的境遇と現在の父親を含む家族環境を興味を持たせながら親子の愛情をベースとした内容を         一気に説明しています。
        その興味を引っ張っているのは、昔昔の話ですという平安末期の雰囲気です。

(2)正氏の住居の表

       ・高雄の高山寺で撮影
       ・お父さんがどういう人であったかという説明場面に入る。
       ・大忙しで一気に突っ走って説明している場面。
  
(3)山陰スチール
       ・玉木たちが焚き火を囲んで休み、餅を焼いて食べている場面の撮影は高雄毘沙門川で行われました。

Sanin

 3.<人買い>  

(1)林の中 ・安寿が枝に飛びつくが、とても強くて折れない。厨子王が手を貸して2人でメリメリと枝を折る。2人は草の上に転んで大笑いする場面があります。これは後半の山椒大夫の舘で2人の感情が昔の優しい人間愛を取り戻す伏線になっています。

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         【人さらいの巫女 と 宮嶋が書き写したもの】

Hitokai

         【人買い】

4.<山椒大夫> 

 山椒大夫邸の俯瞰図(美術部)を入れる。

Yashiki

        【山椒大夫邸の俯瞰図】

 (1)山椒大夫邸の敷地内で奴婢たちがしている仕事は、この地方の地場産業を調べたのが役立った。  織物をしている

Orimono

        【織物をしている】

 (2)津川雅彦さん 芝を担いで倒れこむ
Shiba


 撮影時期は1~2月に行われています。凍った道路に穴を掘って水溜まりを作り、そこへ厨子王役の津川雅彦さんが倒れこむシーンがあります。背負っていた芝束が少ないというのでもう一束、芝を増やしました。それは私が増やしたのか、鍋井君が増やしたのかはっきり覚えていません。その時、雅彦ちゃんのお母さんが私の手を握りました。
 目に涙が溢れて手が震えているのです。

 私は雅彦ちゃんが顔色も変えずに芝居に立ち向かっている姿に感動していました。芝居の中のひどい奴隷の環境に応じて役者として立ち向かっていたのです。芝居の事は別にしてもこんな辛い仕事に駄々をこねて逃げ出しても当たり前の年頃です。「お母さん雅彦ちゃんは大した人ですよ。この過酷な奴隷の環境に役者として立ち向かっています。目が泣いていませんよ。僕は感動しました。」と私は言いました。するとお母さんの私の手を握った手が緩くなって涙が消えました。「山椒大夫は母物映画ですよ」と溝口先生から聞いていました。この時雅彦ちゃんとお母さんの母物心情を見たのです。

5.<陸奥若としのぶ>

 (1)太郎を出現させることによって悪が際立って来る。太郎は善の権化である。
   親子の感情があるので山椒大夫は太郎を愛しているのです。
 (2)荘園を預かっているのが山椒大夫。土地の権利を持っている公家は銭、産物を手に入れることが出来きま   す。山椒大夫も公家の使用人になります。
 (3)時間経過のオーバーラップ。(時間経過と場所変化の意味)


Soseki

             【大寺院の礎石】
 

 (4)厨子王が変貌して山椒大夫に隷属していることを表す場面  焼きゴテ

Yakigote

           【厨子王が変貌して山椒大夫に隷属していることを表す】

6.<玉木の消息>  

Akires

            【玉木がアキレス腱を切られる】

  (1)玉木が逃げられないように大勢の女郎の前で親方に、足のすじ(アキレス腱)を切られる時の撮影では、その他の女郎が、みんなアッと同時に目を抑えてしゃがみ込むのです。芝居が一つでは具合が悪いので私、宮嶋が一人ずつ振付をしました。その時溝口先生がやってきて私の腕を掴んで振り放すのです。「君は何と云う失礼な事をするんだ。俳優さんは夫々に自分を考えて演技をするものです。失礼な振り付け、俳優さんの仕事に手を出してはいけません。実際の心情説明をすればよろしい。」と叱られました。女郎の中には売られて来て間もない若い娘と中年のこういう事件を見慣れた古手もいるのです。「貴女はここへ来て何年も経って見慣れているのです。」「貴女は売られてきたとこですから、初めてこれを見て気が狂いそうに為るほどに愕然とするでしょう」「貴女は又やっているのかと可哀想に思いながらもシレッとして感情の反応が弱いのです。と今私が言ったように夫々に役者としての立場を一人ずつ考えて下さい。テストまで5分待ちます。」と言い直しました。

    溝口先生は私を叱る事によって、それ以上に俳優さんを叱っておられたのでしょう。
   その方が俳優さんにとっての効果は大きかったと思います。俳優さんにとってもこんなに親切な監督さんはいなかったのです。溝口監督は大部屋の俳優さんたちの信頼と尊敬を集めておられた所以ですこのような溝口組の私のやった仕事は、本当はチーフのやるべき仕事なのです。チーフはどこにいたのでしょう。


7.<人捨て山>

 (1)小枝を2人(安寿と厨子王)で折る 子供時代、成人 

  山椒大夫の奴隷部落では、逃亡しようとした仲間の額に焼きゴテを当てなければ生きていけないほど荒んだ厨子王も子供時代と同じ場面で清純な心を取り戻すきっかけになっているのです。伏線としては売られて来た直後に芝を背負って転がされる場から厨子王の焼きゴテあて、枝折りの場面などは心理変化のプロセス説明の構成になっています。重ねて言うようですが芝負い転がしの場面が重要であるのです。
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子供時代の安寿と厨子王が小枝を二人で切る場面

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山椒太夫邸で安寿と厨子王が同じ場面で。

8.<安寿の決意>

 (1)安寿入水場面

   この撮影は作品の終末の撮影完成に近い日に行っています。2007年5月25日発行された国際シンポジュウム「溝口健二」没後50年「MIZOGUTI2006」の記録 朝日新聞社発行 蓮實重彦/山根貞男 編著のP44の7行目で山崎氏は「実は先ほどショッキングな写真を見てしまいました。このカタログ(「はじめての溝口健二」)の16ページに「『山椒大夫』入水シーンの撮影風景」という写真があるのですが、香川京子さんが水に入って非常に嬉しそうな顔をしていらっしゃるんです。ぼくが涙を流しながら見たあのシーンというのは、実はこんなにこやかな雰囲気のなかで撮られていたのかと思うと、溝口監督も香川さんには甘かったのかな、と思ってしまいました。」と述べています。そしてP72の7行目で香川京子さんが入水シーンについて「腰のあたりまで入っていったのを覚えております。…」とおっしゃっていますがこのシーンには宮嶋にも深い思い出があります。この撮影はクランプアップの2~3日前の撮影です。溝口組は吹き替えを絶対使わないのに、この日初めて香川さんの吹き替えを使われたので驚きました。吹き替えは会社の俳優部へエキストラを紹介する仕事をしていた武田喜久子さんという女性でした。その後演技部の社員として所属されていたのを覚えています。ロケ地は京都宇多野の結核療養所の横の汚いため池でした。後で知った事ですが成瀬監督の作品が香川京子さんを待っていたので、風邪を引いた香川さんを送るのは具合が悪いと思われたのでしょう。

 腰までつかったのは吹き替えの武田喜久子さんに間違いありません。次のカットが水面のあぶくです。池の底にゴム管を沈めてそこへ空気を送ったのは私ですからその前の場面の人物の動きを知らない訳はありません。
    

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【上から順に安寿の入水場面】

9.<国分寺> 
  国分寺の堂内の撮影は「広隆寺の金堂と唐招提寺」で行われました。こんな国宝の場所にライテングして、松明を持った多数の人間を走らせるというようなことが出来たのは、溝口監督の社会的信用度によるものです。以前に、ある監督の(名前は伏せます)作品で奈良の二月堂を借りました。その時、照明部がライトを支える五寸釘を建物の柱に打つのです。私が大声をあげて怒鳴り上げて止めました。監督は平然としていました。他のスタッフも同じでした。これがもし溝口組であれば照明技師も照明部のスタッフも撮影部のチーフもスタッフも怒鳴り上げていたでしょう。

  衣笠組では、彦根城を使っての撮影の時、石垣を火薬で壊した事があると聞きました。


10.<関白へ直訴> 直訴状を渡そうと

Zikiso
大覚寺で撮影されました。

 1)直訴状では林屋辰三郎先生より教わって「謹言上(つつしんでごんじょう)」と書きました。一寸横道に逸れますが、下から上(かみ)へお願いする時には「謹言上」 といいます。上から下へ達せられる時は「上意下達」といいます。この頃、御所へのお出入りの店の事を御所御用達(ごしょごようたつ)と言うていました。今は映画でも御用達(ごようたし)と言っています。御所の周囲には御所出入りの店が沢山あります。とら屋も畳の三輪長兵衛店も束帯など公家の衣装を扱っている店も御所御用達(宮内庁御用達)と呼んでいました。御用達(ごようたし)にしたのはテレビと東映映画です。

 2)官史関係の服装はその位によって決まっているので故実叢書、古事類苑を参考にしています。

3)牢屋の中での囚人の扱い方、縄のくくり方は日本刑罰史を参考にしています。
   くくり方なども扮装テストをするのです。

Rouya


11.<従五位下(じゅごいのげ)>

 天皇に会える人は殿上人といいます。本当は4位以上でありますが、4位5位も殿上人と書いてあります。5位でも緊急の場合は天皇に会う事が出来るので殿上人といわれ厨子王は従五位下になり殿上人になりました。平正道になったのです。

12.<掟を布令>

境迎(さかむかえ)国境で国の守を迎える儀式も林屋辰三郎先生の教えの通りに間違いなく撮影しています。試写を観られた後、林屋先生は「学生の教科書にもなる正確な表現です。こういう故実の真実をドラマに生かしてドラマの本質の格調に仕上げているのに感動いたしました。」その時ついでに私も褒めて頂きました。

13.<太夫の仕置> 山椒大夫の舘の内部
Yakatanouaka


 セットが建った時に溝口先生が下見に行かれました。勿論私も付いていきました。セットにはまだ小道具の飾りも入っていません。
 美術の伊藤喜朔先生に溝口先生は「これは立派なセットですが、この屋根の重量はどの位でしょうか?」と言われたのです。何トンと答えられたのかは今の私の記憶にはありません。随分重かったと思います。溝口先生は「それだけの重量をこの柱で支えられますか?」とおっしゃいました。その後すぐその日の内にセットの土台に建つ屋敷の柱を倍近い太さに変えられました。この事をセットを全部つぶさせて、建て替えさせたと云われたのですがそれは嘘です。現に建っている柱を太くする修復作業が行われたのです。

 セット全てを解体して建て替えさせたと言うのは溝口監督は「ゴテて自我を通す人」という作られた噂を利用して予算課(鈴木など)が他の映画の制作予算に振り向けたり、又は京都撮影所の上層部の自由な隠し金として使われていたのです。

14.<再会>

 佐渡の船着場 、海辺は志摩のロケーションです。母親との出会いも志摩のロケーションです。遊女屋はセットです。
 依田さんの脚本では、ロケでお母さんにお厨子を見せる事で厨子王と分かって抱き合うところで終わる事になっていました。これだけの苦労した女性が眼も見えなくてそう簡単に厨子王だと信用できるはずがないということで改定稿が作られたのですがそれは、溝口先生一人でお書きになったものです。

1)依田さんのシナリオ 
  f41の10行目

      かすかな唄声がきこえて来る。「鳥も生あるものならば……疾(と)う、疾う逃げよ…」厨子王はそ の方を見る。そして、見えぬものにひかれるように、その唄声のおこる方へ歩く。
    小さな百姓家の庭にむしろが敷いてあり、刈り取った実の穂が干してある。その真中にぼろを着た老女が座って、長い竿を持ち、鳥が来て、穂をついばむのをはたいている。唄はこの女の口から洩れるのである。
    「厨子王、恋しや、ほうやれほ」
    厨子王の顔色が変わる。恐ろしいものに近づくように、厨子王は老女の傍に来る。
    老女の髪は塵にまみれ、顔を見れば、盲目である。唄は悲しげな声で続く。
    「安寿、恋しや、ほうやれほ、鳥も生ある……」正しく母の玉木である。厨子王は、狂気のように、その膝もとにかけよる。

厨子王  「お母さま…」
     老女はおどろいて、唄をやめ、今、膝もとへ飛びついて来た大きなものを、手でおしやろうとする。
厨子王  「厨子王でございます。」 玉木は、耳を傾ける。そして信じ難い顔で、じっと声の方を見定めようとする。その時、時雨がはらはらと降ってくる。厨子王は母を抱いて、軒下に入る。そしてその場に座らせると、守り袋の中から、観音像を取り出して、わななく手で、玉木ににぎらせる。
厨子王  「お父さまから頂いた観音様でございます。おわかりでございますか」
      母は、その像をまさぐっていたが、
玉木   「厨子王」 と叫ぶと共に、しっかりと厨子王を抱く。盲いた目からは、涙がにじみ出る。
玉木 「ほんとうに、お前は厨子王だね、ほんとうに…」
厨子王  「お母さまをお迎えに来たのです…」
玉木   「お前一人ですか。安寿もいるのでしょう。早く逢わせて下さい。どこにいます。」
      厨子王はしばらく答えられない。
厨子王  「……安寿は、……お父様の傍へ参りました。…」
玉木   「え?お父様はお達者ですか」
厨子王  「私は、国守の身分で、お母さまをお迎え出来たのですが、お父さまの訓えを守り通すために、その身分を捨てて参りました。……どうか、お母さま、許して下さい。」
玉木   「何をいうのです。お前が何をしたか知らないけれど、お父さまの訓えを守ったから、こうして又、会うことができたのかも知れません。……」
     二人は、いつまでも抱き合っている。
又、時雨がひとしきり音を立てて降って来る。


2)溝口先生の訂正が入ったシナリオ   

■黒字は依田さんのシナリオで

 かすかな唄声がきこえて来る。「鳥も生あるものならば……疾(と)う、疾う逃げよ…」厨子王はその方を見る。そして、見えぬものにひかれるように、その唄声のおこる方へ歩く。
小さな百姓家の庭にむしろが敷いてあり、刈り取った実の穂が干してある。その真中にぼろを着た老女が座って、長い竿を持ち、鳥が来て、穂をついばむのを遂ている。唄はこの女の口から洩れるのである。
    「厨子王、恋しや、ほうやれほ」
     厨子王の顔色が変わる。恐ろしいものに近づくように、厨子王は老女の傍に来る。
     老女の髪は塵にまみれ、顔を見れば、盲目である。唄は悲しげな声で続く。
    「安寿、恋しや、ほうやれほ、鳥も生ある……」正しく母の玉木である。厨子王は、狂気のように、その膝もとにかけよる。

■溝口先生が、上に続けて追加されたものです。

厨子王 「お母さま……」
    老女はおどろいて、唄をやめ、今膝もとへとびついて来た大きなものを手でおしやろうとする。
厨子王 「厨子王でございます」
    玉木は、耳をかたむける。信じ難い顔でじっと声の方を見定め
玉木  「性悪め、又、人をなぶりにきたのじゃな」
    厨子王は、懐中の守り袋を取り出す手を止める。
玉木  「あっちへ行け、……いつまでも、お前たちのわらい者にはならぬ」

 soon演出では玉木がフレームアウトする。厨子王が後を追う。次のカットは百姓家の掘っ建て小屋のセットに続きます。 (ここの場面のロケとセットの繋ぎは照明技師の岡本さんと宮川キャメラマンの見事なコンビのたまものです。


■溝口先生が、続けて追加されたものです。

    玉木は、逃げるように、軒端にいざり入る。

96A 百姓の軒下     
    玉木は逃げるように、軒の下に入る。
    厨子王はそれを追って、玉木の傍へ来る。そして、守り袋の中から観音像を取り出して、無言のまま、容赦せず、玉木の手に、しっかりとにぎらせる。その力強さに、玉木は抗うことができない。
厨子王 (母の耳の傍で、叫ぶように)「お父さまからいただいた、観音様でございます。」
    言葉を切って、厨子王は母の表情にあらわれる変化を期待して、みまもっている。
    玉木は、しばらく、その像をまさぐっていたが、やがて、
玉木 「厨子王」
     と叫ぶと共に、今、自分の手に、観音像をにぎらせた者を求めて、手さぐりする。厨子王は、その手の中へ、自分の身体を投げ入れる。玉木はしっかと抱く。
厨子王  「おわかりでございますか …… お母さまをお迎えに来たのです。」

■黒字は依田さんのシナリオに戻って
     
    盲いた目からは、涙がにじみ出る。

玉木   「ほんとうに、お前は厨子王だね……お前一人ですか。安寿も一緒でしょう…
     … どこにいます。早く逢わせて……」
     
    厨子王は、しばらく答えられない。

厨子王  「……安寿は… お父さまの傍へ参りました……」
玉木   「え?お父さまはお達者ですか」
厨子王  「いいえ お母さまと厨子王と、二人きりになってしまいました」
      玉木は、がっくり首をおとす。
厨子王  「わたしは、国守の身分で、お母さまをお迎え出来たのですが、お父さまの訓えを守り通すために、その身分を捨てて参りました。……どうか、お母さま、許して下さい。」
玉木   「何をいうのです。お前が何をしたか知らないけれど、お父さんの訓えを守ったから、こうして又逢うことができたのかも知れません……」
     
      二人は、いつまでも抱き合っている。
      また、時雨がひとしきり音を立てて降ってくる。

●依田さんのシナリオ

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≪●溝口監督の訂正が入ったシナリオ≫


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Teiseim2

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3)百姓家の軒下のセットでの2人入れ込みの芝居場はパン横移動で撮影しています。
 移動を動かすのは普通、効果部の仕事なのですが、芝居の中に入り込んだものでないといけないと言うので、監督は助監督に押せと言われました。私の下の鍋井助監督がハンドルを握ったのですが「あれじゃあ あかん!!……宮嶋がやれい」と言う監督の言葉で私が作動する事になりました。鍋井君(外弟子)はちょっとむくれていましたが、溝口組の助監督歴は私のほうが古いのです。テストが始まると芝居を見つめている裏方スタッフの鼻をすする泣き声が聞こえてくるのです。天井からは芝居に感動した照明部の声も、宮川さんもすすり泣きをしながらファインダーにあてた目を押さえて「もう見えん、もう見えん」と言いながら鼻をすすっているのです。私も泣いていましたが移動係なので芝居から目を離すわけにはいきません。ここの場面を映画館でご覧になった観客にも芝居に移動が溶け込んでいるんでパン移動をしていることなど絶対に気がつかないでしょう。私の自信です。こういう涙を誘う場面では、大抵の監督も泣いてしまうのです。このような泣く監督は心優しいとスタッフや俳優さんの安物人気が出るものですが……。この時私が見たお師匠さんは、両腕を腰において厳然と芝居を睨んで居られました。

4)
山椒大夫の初号試写が済んで試写室からの帰り道で企画部長の服部静夫さんが依田さんに「大ラストは溝さんにやられたねえ。」依田さん「ふうーん……」と言うておられた会話を聞きました。
シナリオは溝口先生の手も入っているのですが、タイトルは依田さんのみになっています。「依田さんは一人でシナリオ作家として充分に仕事をしている。私はそれを基にして監督の仕事をしているのだからシナリオのタイトルにまで名前を載せる必要はない」と溝口先生は、おっしゃっていました。
5)試写も済んだ頃、溝口先生から「この作品は母物です。三益愛子主演で今作られていたうわっかすりの安物人情泣かせものではありません。しっかりと人間の母と子の心情の動きを見つめれば山椒大夫になるのです。あなたも最初の監督作品は親子の愛情物にすればよろしい。」その時の撮影スケジュールと構成なども教わったのですが、それは後で別に述べます。この言葉で私が初めて書いたシナリオは「蜆川(しじめがわ)物語」という大阪の母物でした。 


溝口健二作品「山椒大夫」で、私、内弟子助監督がした仕事 追加

Tsuikat

1.スタッフルーム
  前にも述べましたように、溝口組のスタッフルームは図書館のように参考資料と図書で溢れているのです。これは内弟子である私が溝口邸から選んで運び込んだ溝口先生の私蔵資料と本です。私のついた大監督も自分の資料や図書を持って来た人は誰もおりませんでした。この私のノートのメモから溝口組のスタッフルームの様相は想像して頂けると思いましてノートの一部をお見せいたします。


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2.溝口組における私のついた仕事のスケジュールの一部

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3.溝口組キャメラマンと照明技師……映像技術の腕前はロケ、セット、オープンセットと夫々に違う光線の具合を按配するにあります。映画をご覧になってロケ、セット、オープンセットの違いを気付かせないのが最高なのです。作品の中のロケ、セット、オープンセットのつなぎを私のノートを参考にして、もう一度観直して下さい。
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    特報とは、予告編の前に作る撮影前の現場報道で、現在このような仕事をしていますというニュース作品のことです。団子串刺し式 私の履歴書に書いていますが
   私のノートに特報創作メモが出てきましたので、再度特報撮影状況も一緒にみて下さい。

  (1)特報創作メモ
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  (2)特報撮影状況   「山椒太夫」は私の助監督三年目についた作品です。この作品で初めて特報 (制作の準備関係を報道する宣伝予告編) の監督をしました。会議室にセッティングをして、溝口監督、美術の伊藤喜朔、田中絹代、香川京子、花柳喜章さんに動きを指定して監督のヨーイ・ハイをかけるのです。テストは五回やりました。溝口監督の動きと絹代さんの動きのダメを出して注文したのです。移動撮影でしたが本番の六回目はキャメラのNGで、七回目・・・季節は真冬の二月だというのに緊張して汗が額を滴り落ちました。そして七回目にやっとOKを出しました。普通は助監督は監督を撮影する場合にはぶっつけ本番・・・良くても悪くてもOKにするのに 「何とお前は心臓の強い阿呆かいな!」と笑われました。
 汗を拭いながら部屋外の廊下を行く時に後ろから、かっ、こっと不揃いな足音がすると、急に両肩を抱きすくめられたのです。不揃いな足音は子供の頃に小児マヒ ? を患った溝口先生の特異な歩き方だったのです。振り仰いだ所に近く溝口先生の顔がありました。
 先生 「・・・・今の事を忘れてはいけませんよ・・・・自分の気の済むまで・・・・納得できるまでテストはするのです!」
 汗はすっとんで、もう止まらない涙が滂沱と滴り落ちていたのでした。


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最後に
 このホームページの文章や資料の著作権は宮嶋八蔵にあります。

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「山椒太夫」 おわり
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宮嶋八蔵日本 映画四方山話
刺 青
刺青-2
ぼ ん ち
噂の女
朱雀門
残菊物語
雨月物語
山椒大夫
祇園囃子
近松物語
ごくどうもん
新平家物語
千代田城炎上
華岡青洲の妻
華岡青洲の妻-2
溝口組と他 の組との違い
京都人文 学園のこと
溝口作品 映画資料寄贈
3987番目 の志願兵
私の中の予科練
団子串差し式 私の履歴書
北斗の星
京滋美保空会に 司令を思う
想い出の歌
宮嶋八蔵の幼少期
宮嶋八蔵妻の家系
牧野克次の妻兄弟
NY日本倶楽部建設
NY高峰譲吉本邸
20日と牧野克次
全米桜まつり
渋沢栄一と 東京高峰譲吉邸
天王寺屋 牧野家の墓  
牧野克次の遺品 京都工繊大寄贈  (1)
牧野克次の遺品 京都工繊大寄贈  (2)



































































































































































































































































   1  1952年(昭和27年) 「西鶴一代女」 第13回ヴェネツィア国際映画祭で「国際賞」受賞
  2. 1953年(昭和28年) 「雨月物語」  第14回ヴェネツィア国際映画祭で「銀獅子賞」受賞
  3 1954年(昭和29年) 「山椒大夫」   第15回ヴェネツィア国際映画祭で「銀獅子賞」受賞
  4 1954年(昭和29年) 「近松物語」   ブルーリボン賞の監督賞受賞 

  


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