高峰譲吉博士と画家 牧野克次と全米桜祭り
(1912年製) 紐育桜パーク記念銀牌製図・櫻樹寄贈記念杯図案発見
2019(令和1)年7月20日
宮嶋サロン著者
竹田美壽恵
HP 担 当
勝 成 忠
高峰譲吉博士 画家・牧野克次
出典: 『ウィキペディア』 牧野克次遺品・宮嶋晃所蔵
1.
金沢ふるさと偉人館で平成24年4月から7月まで、日米友好の桜・寄贈100周年記念「高峰譲吉邸と松楓殿」が 開催されました。その時の案内状に、「明治45(1912)年
日米友好のシンボルとして6040本の桜がアメリカに贈られ100周年です。
ワシントンD.C.のポトマック河畔には東京市が、ニューヨークのハドソン河畔には日本俱楽部(ニューヨーク在住の日本人による日米友好を目的とする団体、会長は高峰譲吉)が贈ったものですが、 この桜の寄贈には高峰譲吉が大きく関わっていました。
今でも2か所とも桜の名所として知られワシントンのポトマック河畔では、毎年桜の 開花時期に「桜祭り」が 開かれ多くの観光客で賑わっている」と高峰譲吉博士の功績が紹介されました。
(金沢ふるさと偉人館発行より)
2010年の全米桜祭り中のジェファーソン記念館:出典: 『ウィキペディア』
2.高峰博士の別荘、松楓殿の室内装飾及び造庭と紐育高峰譲吉博士本邸の設計室内装飾を担当した画家 牧野克次は、紐育日本俱楽部(会長は高峰譲吉博士)より依頼され1912(明治45)年に紐育日本俱楽部の建築内装も請け負っていました。(紐育日本俱楽部の建築遺品は別冊で詳しく紹介させて頂きます。)ここでは、紐育桜パーク記念銀牌製図や
桜樹寄贈記念杯図などの製作遺品が見つかりましたのでご紹介いたします。
1)-1. 紐育桜パーク記念銀牌製図 1912(明治45)年5月3日 牧野克次案
製図番号145号 ・宮嶋晃所蔵 ・撮影:竹田美壽恵
1)-2. 紐育桜パーク記念銀牌製図のサインの所を拡大
2)-1.櫻樹寄贈記念杯 図案 牧野克次作 1912(明治45)年5月8日
製図番号146号のA ・ 宮嶋晃 所蔵 ・撮影:竹田美壽恵
2)-2櫻樹寄贈記念杯 図案拡大したもの
2)-3櫻樹寄贈記念杯 図案拡大したもの
3.桜を贈った日本側からポトマックの米委員会に宛てた感謝状
(牧野克次遺品・宮嶋晃所蔵) ・撮影:竹田美壽恵
ワシントンのポトマック湖畔やニューヨークのハドソンにある桜樹を高峰譲吉博士が
寄贈時、牧野克次も日米親善の活動を支え協力していました。
上記の書類が読みにくくなっていた所、早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系
講師の石井香絵様が英語の文字起こしをして下さいました。
文章の概要
桜を贈った日本側からポトマックの米委員会に宛てた感謝状。日本側の申し出を
受け入れてもらった感謝を格調高く丁寧な英文で書かれています。
日米の親善と交流にいかに気を配っていたかがわかります。(概要 訳 宮嶋晃)
日本側からの感謝状は1909年9月25日付けになっている。1910年1月に2000本の桜の苗木がアメリカに到着したが害虫が発生し防疫検査で通過できず全て焼却された。
この知らせを聞いた関係者は落胆したが、東京尾崎市長は高峰博士の支援のもと再度桜の寄贈を決定した。ニューヨークのハドソン河開発300周年の記念式典に向け,
さらに3000本合計6000本の寄贈が決まり線密に計画がすすめられた。1911年3月26日3020本の桜の苗木がワシントンD.C.に到着した。1912年3月27日式典が行われヘレン・タフト米大統領夫人と米国駐在珍田日本大使夫人によってワシントンDCのポトマック河畔に桜植樹された。植樹された2本の木は第17通り南西の端に現在もたっており大きな銘板で、最初の2本である事が示されている。
1915年、アメリカ合衆国政府は返礼としてハナミズキの苗40本が贈られ、東京市内の公園や植物園に植栽された。 (ウィキベディア参考)
4.高峰譲吉博士と牧野克次
高峰譲吉博士(1854年~1922年)は日本の科学者、実業家、工学博士、薬学博士で1894年に消化薬のタカジアスターゼを発明、1900年にアドレナリン(止血剤)結晶抽出に成功し医学の発展に大きく貢献した。1922年アルミニウム製造事業の推進に取り組んだ。三共創業者。理化学研究所の設立者の一人。帝国学士院賞受賞。
ワシントンのポトマック川にある桜並木は1912年に東京市が寄贈したが、高峰譲吉は寄贈の計画、発案を当初から参画し尾崎東京市長らと共に実現に大きな役割を果たした。 (ウィキペディアより)
牧野克次(1864・元治元年4月21日~1942・昭和17年10月22日)
・大阪の豪商天王寺屋の一族・日本画家・西洋画家・篆刻家・建築室内装飾家
・大阪府高等小学校教員・静岡県師範学校教員・大阪高等工業学校助教授
・京都高等工芸学校創立年4月に助教授として着任・関西美術会設立に参加・京都で画塾を開き、井上悌蔵、新井謹也、榊原一廣らが学んだ。・田村宗立、桜井忠剛と共に洋画家の懇親会的会合「二十日会」を創立・関西美術院設立の発起人・関西美術会、大阪第5回内国勧業博覧会其の他各種展覧会の審査員に従事
・ニューヨーク美術学校教授・松楓殿別荘、紐育高峰譲吉博士本邸、紐育日本倶楽部等の工事設計、室内装飾・久邇宮家側近・皇太子裕仁親王(後昭和天皇)妃に内定時、久邇宮邸内に設けられた学問所で昭和の母になられた良子女王様の皇太子妃
教育に尽くされ、物心両面で久邇宮家を支えた方。・趣味 謡曲 ・雅號 天平
自筆略歴書等はホームページ内
「宮嶋八蔵妻の家系(画家・牧野克次の家族と人生)」
をご参照下さい
5.全米桜祭りは、ワシントンD.Cで、毎年春に行われるお祭り。
1912(明治45)年3月27日に東京市長であった尾崎行雄からワシントンに桜が贈られた事を記念して行われている。桜はアメリカ合衆国と日本国の間の友好関係を育て強めようとして寄贈されたもので、現在の祭りでも二国間の親密な関係の継続が祝われている。
桜の植樹経過について、アメリカ国内で「ポトマックに日本の桜を植えられる」という
計画を、ワシントンにいた日本人科学者
高峰譲吉
と駐ニューヨーク日本総領事
水野幸吉
の知るところとなった。その頃、東京市長でもあった衆議院議員
尾崎行雄
は、先の日露戦争の講和に助力してもらった
アメリカへの謝礼を考えていたところへ、水野からこのような計画がある事を知らされた。
高峰は、アメリカ大統領夫人に面会し、東京の尾崎から2000本の桜を寄贈する計画があることをもちかけ、水野は高峰に東京の名で桜を贈る事を提案した。高峰と水野は
その後大統領夫人と会見し寄贈の提案が受け入れられた。
(ウィキベディア参考)
・近創史 No12/2011論文 「明治の群像・断面 その7 異色の駐米総領事 水野幸吉
著者 石田光雄氏 に桜樹寄贈の経過がさらに詳しく記載されている。
*宮嶋サロン:宮嶋八藏(映画監督溝口健二氏の内弟子助監督・平成27年没)のサロン
妻の春様は、画家牧野克次の孫になり、長男晃様は曾孫になる。
ホームページ「 宮嶋八藏日本映画四方山話
http://katsu85.sakura.ne.jp
」
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