新平家物語
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溝口健二作品「新・平家物語」で、私、内弟子助監督がした仕事
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著 者    宮嶋八蔵                         
口述筆記  竹田美壽恵
ホームページ担当
勝  成忠
.はじめに
 吉川英治原作、新・平家物語から3部作が企画されました。1部は溝口健二監督「新・平家物語・清盛編」2部は衣笠貞之助監督「新・平家物語・義仲をめぐる3人の女」3部は島耕二監督「新・平家物語・静と義経」でした。その3部作の助監督はそれぞれに違うのですが、1部で溝口監督の所蔵の資料をベースとして風俗考証に関っていたものですから私だけ3部の作品共、助監督として付かされました。3部作になると三篇目は鎌倉ですので鎧の考証等も1部とは変ってくるのです。1部の溝口組の紹介を主体として2部3部にも触れておきます。
Ⅱ.1部溝口組「新・平家物語 清盛編 1)源平時代年表(その1)解説 1-0-1
*シナリオ以前に私が受け取ったもの
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源平時代年表(その1)解説 の目次  1-0-2
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源平時代年表(その1)解説 の目次 2   2 1-0-2
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源平時代年表(その1)解説 の目次 1-0-3 内容は紙面が多くなるため 省きます
2)1部溝口組「新・平家物語 清盛編
 
「新・平家物語」概要  第2稿  表紙 
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 「新・平家物語」概要の中身の一部

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. 1部 溝口組  「新・平家物語」 覚え書き
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原本抜き書きメモの1部
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原本抜き書きメモの1部の2
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原本抜き書きメモの1部の3
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.台本の紹介
    新・平家物語1部から3部までの台本 1部 2部 3部のシナリオ作家の違い監督の違いが大きいのです。溝口組では創作準備稿、シナリオメモ集、シナリオ初稿、シナリオ修正稿,第2稿、決定稿、撮影にかかってからの部分訂正稿は始終出ます。加えて黒板システムによる撮影直前のセリフ読み合わせ訂正となっています。
2部3部のシナリオは準備稿なしの決定稿一発でした。その為か、興行収入は手抜きの反射のようにどんどこ、どんどこと観客動員の数は減っていきました。そこで、永田社長の珍広告が出ることになります


   新・平家物語1部から3部までの台本   宮嶋八蔵の所蔵本
・監督が違います。それに従ってスタッフも監督の好みのスタッフに変わっていったのです。


Ⅴ.   新平家物語1部から3部までのスタッフ紹介   

* 宮川一夫キャメラマン 1部と3部を撮影した事に関して
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1) 監督が変わると同じスタッフでも作品の出来上がりに大きな違いがあること。
2 )脚本家が変わると根性抜けの映画になってしまう。根性抜けとは、テーマの感動よりもチャンバラ見世物にな ってしまうのです。そういう意味で、3作の裏方スタッフの紹介をしました。
3) 田中徳三さんは「溝口監督はキャメラは宮川さんまかせと言っていますが新・平家物語の1部(溝口監督・キャメラ宮川一夫)新・平家物語3部(島監督・キャメラは同じく宮川一夫です)1部と3部のキャメラウオ―ク を見比べて下さい。監督によって宮川さんの腕(技術)が変わっているのがはっきりと理解出来るでしょう。
田中徳三さんのいう溝口監督はキャメラ位置指定しない(覗かない)というのは嘘であることが判るでしょう。
田中助監督は段取りチーフで撮影現場を逃げていた事が判るでしょう。溝口組の宮川キャメラマンとコンビの照明の岡本健一さんに変わって3部では中岡さんの照明となったのも何かの影響があったと思われるのです。

Ⅵ.まず1部のお師匠さんの「清盛編」から始めます。

1.「新・平家物語 清盛編」のあらすじ

保延3年、平忠盛と清盛の父子は海賊征伐から凱旋するが、新興武士に対する公家の態度は冷たかった。清盛は忠盛の本当の父ではないと聞かされ悩むが、商人伴卜から天下取りをけしかけられ自信を得る。清盛は昇殿のかなった父を謀殺しょうとした公家の陰謀を打ち砕いた。その後には、藤原時信の娘・時子を妻に迎える。
やがて時信の弟・時忠と叡山の荒法師の争いに、清盛は巻き込まれた。騒ぎの中で忠盛は自害。自分が白河上皇の子だと知らされた清盛は、地下武士としての自覚に燃える。清盛は自ら弓を取って叡山の僧兵の前に立ちはだかった。
(生誕100年記念・映画監督 溝口健二 ・別冊太陽 平凡社より引用)

2.台本紹介

 1) 表紙
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    ◆ダブりますが、もう一度スタッフ紹介をします。
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             (応援助監督として増村保造さんも参加される)


 *映画タイトルにはチーフ助監督名のみですが、セカンド助監督は特報、予告編の仕事が主体です。サード以下の助監督が、その他調べもの一切、時代背景、経済史、風俗考証全般の調査、整理をして、各部、裏方へ通達、注文します。小道具も美粧部も俳優さんもスタッフルームで助監督が整理した資料もその元資料も自由に見せていました。

  2)製作年 昭和30年

  3)話は  吉川英治氏の「新・平家物語」全集より、腐敗した貴族文化にかわる武家政治の先駆者となる青年清盛の苦悩と情熱と野心を描いたもの。


3.例により風俗考証から説明します。

  (1)新聞、本の挿絵
  1)宮嶋八蔵と鍋井助監督で新聞の挿絵をトレーシングペーパーに筆で写し取り
青写真にした41枚の中の一部

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   地下人(じげびと) サカモリ

 2)朝日新聞社発行の吉川英治作、新・平家物語全集についた付録の風俗史料をそのままコピーした物の一部(これはトレースしないでの機械コピー)を紹介します。




 



原作者の吉川英治先生は「この資料(朝日新聞社よりの単行本についた付録の風俗史料)では、私の本(新・平家物語全集)は読めません。」と言われたものです。詳細は後述します。

(2)資料ハンティングに行って撮った写真(調べ物の一部)  

1)比叡山の資料
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 (3)溝口組・清盛編 「新・平家物語参考資料」冊子  
 ① 新・平家物語参考資料冊子が出来てそれを基に各裏方スタッフに配ってその準備中のある日、原作者の吉川英治先生と溝口先生の会合が会議室でありました。原作は新聞連載もあって話題中のものですから、たくさんの新聞記者であふれていました。その場には私だけが溝口先生のそばについていました。(この時この資料冊子の編集に関わった土井茂さんがいなかったのは何故だったのかは解りません。)吉川先生が、私たちが作ったこの参考資料冊子をご覧になって「これを作るのにどれほどの日にちを掛けましたか?」と私に問われました。「1か月半位でしょうか。2か月弱です。」とお答えしました所、吉川先生は非常に感心して下さって「新聞記者諸君、私の新・平家物語全集についている風俗参考資料冊子などでは私の本を充分に読み込めません。記者諸君の皆さんも、この参考資料冊子を分けて頂いて読みなさい。」と大変なお褒めの言葉を頂きました。溝口先生のお顔もほころんでいました。そのあくる日、溝口先生から「この資料集を小津監督邸に送っておいて下さい。」と言われました。
② 新・平家物語参考資料冊子を表(俳優部)裏方(キャメラ・録音・照明・小道具・衣裳・美粧・等等に配っただけでは、風俗知識の徹底を欠くというので、事務所2階大広間会議室にて絵巻物その他資料の展示を行い裏方の日、表俳優関係の日と2回に分けて展示の説明会を行いました。その説明には風俗資料を担当した助監督の宮嶋八蔵と鍋井敏弘が当たらされました。資料の内容が膨大なものですから、その場では説明に対する質問をする者もなく、またまた関係各部へ説明に回されました。


(4)溝口組・清盛編 「新・平家物語参考資料」冊子の表紙
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(5)溝口組・清盛編 「新・平家物語参考資料」冊子の創作原稿紹介  

*土井茂助監督が学生時代に冊子を作った経験があるというので構成をして
京大の学生に委託して冊子にしたものです。
  
1)冊子の構成原稿担当紹介  
①略年表・系譜・個人略譜・編集  → 土井茂助監督担当
②建築考証→ 美術助手 内藤昭 ・宮下純郎担当
③官職略解・官制一覧・風俗考証・結髪考証・小道具考証→宮嶋八蔵・鍋井敏弘助監督担当
④参考文献目録  参考文献の殆どは溝口先生の私蔵本で会社のスタッフルームへその本を運び入れるのも内弟子助監督の私の仕事でした。  *チーフ助監督の広津三男さんとセカンドの多田英憲さんはこの「新・平家物語参考資料」冊子創作には関係しておられません。  特注:水谷浩美術監督の指導も注意も一切なく全くノータッチです。


2)新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿    宮嶋八蔵所蔵
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  ①新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿 宮嶋八蔵所蔵
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 ② 新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿 宮嶋八蔵所蔵
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 ③ 新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿 宮嶋八蔵所蔵
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 ④ 新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿 宮嶋八蔵所蔵 
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⑤ 新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿 宮嶋八蔵所蔵 
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 ⑥ 新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿 宮嶋八蔵所蔵 

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⑦ 新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿 宮嶋八蔵所蔵 

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 ⑧ 新・平家物語、清盛編冊子とその元整理済み原稿 宮嶋八蔵所蔵 


) 冊子の構成原稿内容紹介 
*この参考資料冊子の内容は膨大で優に一冊の本ですので、概略が判る程度の紹介に
とどめます。


目次  8    土井茂助監督担当
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①―A 略年表 (調べ物の一部)9-1  土井茂助監督担当
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略年表 (調べ物の一部)9-2  土井茂助監督担当
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略年表 (調べ物の一部)9-3  土井茂助監督担当
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①―B 系譜 (調べ物の一部) 10-1土井茂助監督担当
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系譜 (調べ物の一部)102 土井茂助監督担当
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③―A 官職略階 (調べ物の一部)12   宮嶋八蔵・鍋井敏広助監督担当

①―C 個人略譜 (調べ物の一部)11  土井茂助監督担当
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③―A 官職略階 (調べ物の一部)12   宮嶋八蔵・鍋井敏広助監督担当
2zu017

③―B 官制一覧 
③―C 公家官制 (調べ物の一部)13-1   宮嶋八蔵助監督担当

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③―D 官位相当 (調べ物の一部)14  宮嶋八蔵・鍋井敏広助監督担当
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②―A 建築考証 15-1    美術助手 内藤昭・宮下純郎担当

平安京の図     15-2 美術助手 内藤昭・宮下純郎担当2zu021

 内裏の図15-3   美術助手 内藤昭・宮下純郎担当


地方武家の邸      15-4    美術助手 内藤昭・宮下純郎担当

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年中行事絵巻15-5(調べ物の一部) 美術助手 内藤昭・宮下純郎担当
2zu024
 

③―E 風俗考証 16-1   宮嶋八蔵・鍋井敏弘担当   [C]

風俗考証の内容

 1.服制

  1)男子装束

 2)女子装束

 3)甲冑考証

 4)武器考証

 5)馬具考証

 6)武家装束図

 7)軍扇

 8)首実験

 9)出陣帰陣の肴

10)紋章

11)旗

2.山門の大衆

3.庶民の生活        

結髪考証

小道具考証の内容

1)烏帽子・頭巾・笠・傘

2)履物

3)家具調度

4)容納具

5)容飾衛生具

6)点灯具

7)坐臥具

  8)飲食具

  9)文房具

 10)屏障具

 11)繧繝端(うげんべり)・  高麗端(こうらいべり)

 12)雑具

 13)平安時代の飲食

 14)菓子

 15)平安時代の貨幣

 16)車

 17)輿      18)平安時代の遊戯


風俗図会は宮嶋、鍋井が面相筆や蠅頭まで使って、資料よりトレーシングペーパーに
書き写し、書き写したそのペーパーを切り貼りして製本したものです。


③―F  服制(調べ物の一部)  16-2(服制)

 

       天皇御束帯

 

 16-3 束帯概表

 

      

16-4  中宮


        16-5  召具服装

 いー男子装束 (調べ物の一部)17-1

 

17-2 男子装束

 

17-3  男子装束

  

ろー女子装束 (調べ物の一部) 18-1  唐衣裳
  

18-2 女子装束
  
 

          

      

          

18-3(平安時代の服色と文様)(調べ物の一部) 

 


18-4 文様のいろいろ (調べ物の一部)

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はー武家の武装 (調べ物の一部)19-1
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19-2 武家の武装 (調べ物の一部)
C1_zu015

 19-3 武家の武装 (調べ物の一部)
C1_zu016

にー武器考証 (調べ物の一部) 20-1
C1_zu019

20-2 武器考証 (調べ物の一部)
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20-3  武器考証 (調べ物の一部)
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20-4  武器考証 (調べ物の一部)
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20-5  武器考証 (調べ物の一部)  火打袋
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火打袋は印籠のはじめ    ・火打鎌、火打石、火口、薬を入れる袋を云う。軍陣旅行等の用心とする。太刀の一の足の根に結び付け佩用し、後世の印籠の役をしたものと思わる。

ほー馬具考証 (調べ物の一部) 21-1
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21-2 馬具考証 (調べ物の一部)
2001

21-3 馬具考証 (調べ物の一部)
2002

へー武家装束 (調べ物の一部) 22-1
2003_2

22-2 武家装束 (調べ物の一部)
2005

 22-3   武家装束 (調べ物の一部)</
2006

 とー軍扇  省

ちー首実験 (調べ物の一部)  23-1
200

りー出陣帰陣の肴 (省略)宮嶋八蔵ノート参照

ぬー紋章 23-2  源平の紋章
2008

23-3 水谷浩美術監督のデッサンによる清盛の衣裳図 
平凡社 別冊太陽 生誕百年記念 映画監督溝口健二より
<
2009
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23-4 水谷浩美術監督のデッサンによる経盛、教盛、家盛の衣裳図 
平凡社 別冊太陽 生誕百年記念 映画監督溝口健二より
2010

おー山門の大衆 (調べ物の一部)24-1
2011


24-2水谷浩美術監督のデッサンによる覚然、映範の衣裳図
平凡社 別冊太陽 生誕百年記念 映画監督溝口健二よ
2012


わー庶民の生活 (調べ物の一部)25-1
2013_2


25-2  占い師
2014

下 「新・平家物語 清盛編」でつかった特殊仕出しの一部       
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25-3 庶民の生活 (調べ物の一部)  下の左の絵 ばくち打ち
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25-4 庶民の生活 (調べ物の一部) 2016
左上 子供用の額烏帽子をつけている資料図

*丸山応挙のお化けの絵や田舎では、土葬する仏(死体)の額に三角の布を
 つけます。これはこの平安時代の子供がつけた細長い額烏帽子のなごりで、
 死ねば子供にもどるという事でしょうか。

25-5  庶民の生活 (調べ物の一部) 
2017


  頭上運搬の物売り
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仕出し(その他大勢)、役付きも含む写真   010-7-2
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仕出し(その他大勢)、役付きも含む写真  010-7-3
2p004


仕出しの写真 010-7ー4
2p005


仕出しの写真 06075
2p006


③―G結髪考証 (調べ物の一部) 26-1

 

        しけ髪飾りがあるのが既婚者


2019

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 *女性の髪形は、普通、頭の真ん中を二つに分けて後ろで一つにして流したものを   八割れと呼ぶ未婚者の髪形です。その八割れの髪の額の両端から眼尻のあたりまで下げた飾り髪をしけ髪と呼びます。これは既婚者の髪形です。しけ髪があった方が若々しく洒落て見えますので未婚者に間違えて使われている事があります。八割れの背中に流した髪の毛を腰下の辺りで横に断ち切ったのは後家髪(そぎ尼)と言う未亡人の髪形です。


③―H小道具考証
  いー鳥帽子・頭巾・笠・傘 (調べ物の一部)27-1
3002


28-1 鳥帽子・頭巾・笠・傘 (調べ物の一部)

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28-2 鳥帽子・頭巾・笠・傘 (調べ物の一部)ここに額烏帽子を載せています。
3005
▼ 笠 (省略)


ろー履物 (調べ物の一部)29-1

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29-2 履物 (調べ物の一部)
3006
◆他は省略



「新・平家物語清盛編」で、女性が履いていた履物 010-8
3007
  畳表の履物で鼻緒がなくサンダルに近い。男の履物では下駄はすでにあった。



ほっき扇      010-9
3008
 これは京団扇の始まりで庶民が使っていた団扇(800年程前…清盛の時代)
               「新・平家物語 清盛編」で仕出しの持ち道具に使っています。

はー家具調度 (調べ物の一部)30-1
3009


 にー容納具 (調べ物の一部) 30-2
3010

ほー容飾衛生具 (調べ物の一部)30-3
3011

へー点燈具 (調べ物の一部) 30-4
3012


とー坐臥具 省略</STRONG< p>

  ちー飲食具  省略>


りー文房具  省略

ぬー屏障具 (調べ物の一部) 30-5

3013

るーうげんべり(畳の縁に張った模様のある布)省略
高麗べり(同じく畳の縁に張った布)

おー雑具 (調べ物の一部)  30-6
3014


雑具 (調べ物の一部)30-7
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わー平安時代の飲食 省略

かー菓子 省略

よー平安末期の幣制(調べ物の一部)   30-8
3016


たー車  30-9 牛車の種類省略
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れ-輿  省略Hyo03jog

そ-平安時代の遊戯 省略

つー参考文献  溝口健二監督の図書を主体として調べた。省略

 *この冊子は映画タイトルにある美術監督の水谷浩氏、衣装考証の上野方正氏(京都衣装)装飾監修の高津利治氏(高津商会)にも配布されましたが、以上の3人はこの資料創作には全然関係はしておりません。資料も以上の3人からは一冊の提供もありませんでした。その他配布された所は撮影裏方現場の撮影部、録音部、小道具、衣装部、大道具責任者、俳優部、等であります。


4)「新・平家物語」衣装帳の一部 40-1
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40-2 清盛の衣裳
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 40-3  泰子の衣裳

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泰子の立て膝の話 40-4
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40-5 白河上皇の衣裳
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伴卜の衣裳帳D1_zu_006


キャラクターに合わせた衣裳の本質(溝口組)

・ 肖像画大成を見ると天皇も上皇も束帯の場合は肩が糊付けしたようにシャッキッと(後世の裃の肩衣のように)その張りが品位と風格を表現して見えるのです。溝口監督もその意識を大切にされて鳥羽上皇を演じた夏目俊二さんの束帯の肩の張りをいつも気にしておられたのです。夏目俊二さんもその衣服と鳥羽上皇としての佇まいを崩さないように、休憩時間にも静かに出番を待っておられましたので、映像にもその威厳と格調が表現されています。

白河上皇を演じられた柳永二郎さんは休憩中に直衣のまま、肩まくりをして膝に肘をあてて取り巻きと雑談されていました。溝口組とは「お春の一生(西鶴・好色一代女)」の名優でしたが、慣れでしたか、気の緩みでしたか、キャメラ前では直衣がヨレヨレで品がありません。直に衣裳考証の上野さんに苦情がでました。上野さんは、休憩中の柳永二郎さんのスナップスチールを持っていましたので「先生、こんな調子で待ち時間を過ごされては、すぐに衣裳の修復は無理です。」と申し開きをしました。私は監督の周囲にいて役者を呼びに行くのも仕事の内ですから上野さんのおっしゃる事もよく分かります。上野さんも、柳永二郎さんは先輩の大スターですから直接注意が出来ないのです。

溝口先生が私に「注意して来なさい。貴方は監督部ですよ。」そこで私は行かざるを得ません。
柳永二郎さんの前に立つと私はパントマイムを始めました。親指立てて(親父さん)鬼の角と胸を叩いて(怒っています)広げた肩をすぼめて衣裳無茶苦茶、…後は想像してみて下さい。私のパントマイムを見て柳永二郎さんは衣裳部屋へ駆けだされて衣裳直しをして戻って来られました。結構テストには間にあっていました。

4.香盤 セットの部の一部 41-1
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香盤 セットの部の一部    41-2
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香盤 ロケーションの部の一部  41-3
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 香盤 ロケーションの部の一部     41-4
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香盤 ロケーションの部の一部     41-5
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5.宮嶋八蔵のノートの一部D1_zu_016

 ① 宮嶋八蔵のノート

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② 宮嶋八蔵のノート



③ 宮嶋八蔵のノート


④ 宮嶋八蔵のノート


⑤宮嶋八蔵のノート 


  ⑥ 宮嶋八蔵からの小道具(小道具係)への注文メモ


  ⑦ 宮嶋八蔵からの小道具(小道具係)への注文メモ


  ⑧ 宮嶋八蔵からの小道具(小道具係)への注文メモ


  ⑨ 宮嶋八蔵からの小道具(小道具係)への注文メモ


 ⑩ 宮嶋八蔵のノート


 ⑪ 宮嶋八蔵のノート

5.撮影予定日割表の一部  43


6.水谷浩さんの衣裳デザインについて
                  (朝日写真ブック・映画のできるまでに掲載)



新・平家物語」での水谷浩さんによる泰子の衣裳図案
   泰子の衣裳   (平凡社別冊太陽・生誕100年記念・映画監督・溝口健二に掲載)

水谷浩さんによる「やすらい踊り」の衣裳図と左下に書かれている
   やすらい踊り((平凡社別冊太陽・生誕100年記念・映画監督・溝口健二に掲載)


1)水谷浩美術監督の資料は、助監督、美術助手の作った「新・平家物語資料・溝口組」の物が参考の基本になっています。特に衣裳考証は上野芳生(京都衣装)、装飾監修は高津利治(高津商会)とタイトルでは乗っていますが、この人たちの参考も、助監督制作の「新・平家物語資料・溝口組」が基になっているのです。撮影直前に「有り難う助かりました」と資料を作った私達助監督は御馳走になったのを覚えています。

           
  これがその「新・平家物語資料」表紙です。(再録)
            創作・溝口組助監督 土井茂・宮嶋八蔵・鍋井敏広
            溝口組美術助手 内藤昭・宮下純郎  

2)「水谷浩さんのやすらい踊りの絵」も助監督が絵巻物より写した青写真が参考に
なっています。
  

 それは、水谷浩氏が自分の作品展の為に映画撮影終了後に別に写し書いたもので
ありましょう。 撮影前の扮装テストの資料としては見たことはありません。

①宮嶋八蔵と鍋井敏広で絵巻物より写して青写真にした「やすらい踊り」


     上は筆で写したトレース原稿「やすらい祭」 下は上からとった青写真


 ② 宮嶋八蔵と鍋井敏広で写して青写真にした「やすらい踊り」の左側

              上は筆で写したトレース原稿   下は上からとった青写真



 ③ 宮嶋八蔵と鍋井敏広で写して青写真にした「やすらい踊り」の中央
   上は筆で写したトレース原稿  下は上からとった青写真



④ 宮嶋八蔵と鍋井敏広で写して青写真にした「やすらい踊り」の右側
    上は筆で写したトレース原稿  
下は上からとった青写真



⑤ 宮嶋八蔵と鍋井敏広で写して青写真にした「やすらい踊り」の中の人物

7.第1回扮装テストの写真  


  当時紋章はないと書いているが家紋はない。

第1回扮装テストの時の写真
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①第1回扮装テストには、水谷浩美術監督は立ち会っていません。駄目だしは、私、宮嶋八蔵がしました。駄目だしの文字も私の文字ですが水谷浩美術監督が書いたものと報道されていましたが、それは間違いです。
②「新・平家物語資料・溝口組」の冊子も水谷浩美術監督が指導して作ったよう報道されていますが、サード以下の助監督の土井茂・宮嶋八蔵・鍋井敏広と美術助手の内藤昭・宮下純郎が作ったものであります。水谷浩美術監督はこの資料集に関しては、一切ノータッチで資料提供もありません。
③この第1回扮装テストの時、鎧は父忠盛より位も低いので大鎧は着せられません。大鎧と胴丸の間のような物にしょうというので新たに高津商会に作らせる事になりました。この鎧については挿話もありますが後にします。被り物は細烏帽子(さびーー漆で固めた硬い烏帽子ではない立烏帽子)それに歌舞伎のような硬い蝶結びを烏帽子の上の前額部にしてありました。溝口先生の質問「これは、折りたたんで兜下に被るのでしょうーーそれにこんな固い結び目では痛いはずでしょう。正にその答えは「新・平家物語資料・溝口組」冊子154ページ(このホームページの一部に紹介してあります。)に載せていたのです。

.新平家物語・清盛編

1.46-1ダビングリスト

.「新・平家物語・清盛編」の撮影について              [E]

1. 初日のセット

(1)① 前にも述べましたように、清盛は海賊征伐の総大将ではないので、父、忠盛の様な大鎧にせず次の位の胴丸と大鎧との間にしようと高津商会に注文を出してありました。(*鎧の位の順序は①大鎧②胴丸③腹巻④腹当…雑兵(ぞうひょう)のものという順序になります。)  鎧はコサネという小さいてっぺんの上に漆で固めたものを百以上も繋いで作るのです。高津の職人は2か月まるまるかかって雷蔵(清盛)の鎧を作り上げました。それを着てセットへ出てきた鎧は真新しいものですから、一戦争をして来た後のように汚しをかけねばなりません。汚しは難しいものですから、私の役目となります。汚し粉という粉末がありましてそれを腕、脇にはたき付けていると、溝口先生の声が飛んできました。「一戦争をしてきたんだ。そんなんでは駄目だっ!鎧を脱がせなさい。」近くにある鉈を握って、鎧の脇をドカン、ドカンと何回も殴りつられたのです。それを見ていた高津商会の鎧職人の目から涙が流れ落ちました。

     011-1 朝日写真ブック 27 映画のできるまでより

 撮影に間に合わす為にも何日かは徹夜もして精魂込めて作ったものです。この初日で溝口組「新・平家物語」のリアリズム路線が決定されて全スタッフの心の中に浸透しました。

撮影に間に合わす為にも何日かは徹夜もして精魂込めて作ったものです。この初日で溝口組「新・平家物語」のリアリズム路線が決定されて全スタッフの心の中に浸透しました。 

②これで洗脳、浸透されたスタッフの溝口式リアリズムの例を紹介します。


011-2   朝日写真ブック 27 映画のできるまでより
(この写真集の中の「新・平家物語」関係は私が朝日写真ブック 27の出版キャメラマンを案内説明させられたものです)

     
 この写真は、延暦寺の僧徒が、強訴のため、日吉神社の神輿を振りかざして朝廷に迫る僧兵です。僧兵に扮するエキストラの学生たちです。その他大勢で其々のバストサイズもない群衆の一部です。それでもこれだけのメイクと扮装をさせています。遠くのモッブシーンで行進する学生達でも、二つの脚立の上に梯子を渡してエキストラ学生達には噴霧器で汗を作って、梯子の上から汚し粉を降らせて学生をその下にくぐらせます。それで神輿を守って、長い山道を歩いてきた労力のリアリズムを作ったのです。映像では、その雰囲気がキャメラウォークを助ける大きな迫力になっているのです。この時、学生達の不足の言葉を聞いた事はありません。噴霧器をかけたり、灰を振りかけたりした効果部スタッフの熱意が学生達にも通じたのでしょう。

.「新・平家物語、清盛編」の映像からの説明はチャプター毎に追っていきましょう。
  1.スタッフキャストのタイトルバックは「かわほり」を使っています。


2.台本の書き込みメモ


 「大衆を大衆として撮る為には、ロングの限界がある。フレームの中に、群衆を並べるか、カットを割るか何れかであろう。このような場面の撮影法は、」と宮嶋八蔵の台本のメモ書き


「新・平家物語、清盛編」シーンⅠ(東市の裏)の場面で「芝居が浮いていて現実感が消失している。キャメラは演出の真意を撮っていない。」と私の台本に書きこんでありました。


3.忠盛の館、広床の間

1)心ばかりの慰労宴のシーンで仕出しのセリフのことは忘れられません。 
  徒党(2)  「いいや、泣き言ではありませんぞ。一体、院は…上皇様は、何を見ていられ
                るのだ。」
 清盛    「云うたな…」
 清盛    「云いたいだけ、云ってみろ」
 徒党(丙) 「院の御心のほどは申しません。おそばにいる御公家が…殿上人が憎いの
        です。院と殿の間に立ちはだかって邪魔をひろげるのです。」
 徒党(2)  「天下の政治はおとりになっても、側近の公卿家をおさえることもできず、何
        が上皇様だ。」
○黒板システムでセリフは台本よりちょっと変わっていますが、徒党(2)の俳優さんが、セリフを噛んで何回テストをしても同じ所で詰まるのです。そこで私は監督に「俳優さんを変えましょうか。」と言いますと、監督は「代えてはいけません。あの人は一生懸命なんです。一生懸命さには、それだけの力があります。外で稽古をさせて、あの人にやらせなさい。」と言われました。5分程外で、活舌法と台詞をゆっくり稽古してもう1度やってもらったのです。そこでOKが出ました。良い作品を作る情熱がスタッフキャストを愛する事に繋がるという事を教わりました。

2)ここのシーンで平六は今様を歌います。  この作品の中の歌の参考は日本歌謡集成です。指導は小寺金七さんです。


平六が歌った今様と清盛の歌った謡を私が台本に書きこみしています。 

3.母の帰館

1)大映撮影所の西裏にある古墳の前の空き地で撮影しました。古墳は今は住宅に囲まれて、
金網の中にあります。「新・平家物語清盛編」の撮影期間中、私は謂れを知らずにそこで昼食後の昼寝をしていたことがあります。「そこは蛇塚というて蛇の住まいもあるんだぞ」と聞いてびっくりしました。

2)① 泰子の衣裳は、平安時代の貴族女子の服装で、当時は袿と呼んでいます。正式な十二単は単(ひと え) の上に、袿(うちき)を重ね、その上に唐衣(からぎぬ)と裳(も)をつける服装です。下重ねが5枚、上に何枚と 決まっているのです。この当時「服制」がありますので、映画制作といえども服色、デザインなど創作変化させ  ることは出来ません。「服制」については「新・平家物語資料」の中の風俗考証で紹介しています。 絵巻物集成から見ると、こ の頃は、胸の乳房は露出して袴を穿いていたのです。  映倫規定で乳首を見せる事は禁止されていたので、乳首を隠す線まで上げています。平成21年テレビを見て  いますと2名の男優が入浴している浴槽へ若い女優3人が乳房丸出し素っ裸で飛び込む映像を観て時代の変遷を感じました。
 ② 同じく市川昆監督「ぼんち」では「足袋問屋の若主人(市川雷蔵)を巡る5人の女」の入浴シーンでは吹き替 えも使っています。吹き替え女性のお尻が三振り半もしているという映倫のクレームが出ました。その撮影の 時その吹き替え女優の脚に血が流れていました。本人は気が付かなかったのです。入浴中の女優の反応は  其々違ったものでした。一人は近眼で気が付きません。一人は嫌な顔をしてそっぽを向きました。京マチコさん は、それに気がつくと急いで立ち上がってその吹き替え女優にタオルを巻いてやりました。そんな場面でも其其の俳優さんの性格、心情が判るものです。

 ③ 帰宅した泰子が忠盛の前で座るのですがこの頃は、朝鮮座りで、片足を立てて座るのです。そういう事は  小暮さんにも話してありました。正式に十二単を着ている女官なども着物も脱がず袴も穿いたまま用を足します。袴の股下が割ってあり用が足せるようになっています。先に戻ってそういう女性が朝鮮座りをすると、股の 間の割れ目から秘め所が見えますので、そこに紅で化粧をしていたのです。
  これが紅さしの初めです。紅は紅花から作られました。小暮さんの袴には割れ目は作っていませんがちゃんと朝鮮座りをされています。


4.時信の住居の庭と座敷
  1)台詞の中で殿上人と地下人の事が出てきますので、説明しておきます。「山椒大夫」の説明をしたときにも 書いています。天皇に会える人を殿上人と言います。本当は4位以上でありますが4位、5位も殿上人と書 いてあります。5位でも緊急の場合は天皇に会う事が出来るので殿上人と言われます。地下人は清涼殿に昇殿を許されない官人、又は家格で一般には6位以下を言います。母、泰子は藤原家の出なので殿上人出身であり、その夫、忠盛は武士出身で地下人であった為泰子は夫を見下していたのです。

2)① 黒板システムで台本の台詞が改訂された例の一部です。  013-1


②黒板システムで台本の台詞が改訂された例の一部 013-2


3)時子の弟役(時忠)を演じているのは、長谷川一夫さんの御子息の林成年さんですが、長谷川さんの創作形芝居の影響は全然なくリアリズム芝居でした。

5.赤鼻の伴卜邸

 1)伴卜邸の飾りは唐からの密貿易の到来品ですので、林屋辰三郎先生のお教えを受けました。
 2)伴卜の扮装は創作だと思われます。

6.忠盛の館の裏、庭

 1)ここで20年前に起きた祇園の林での白拍子と白河上皇と浮気の男を巡る清盛誕生にまつわる等等の説明シーンの場面転換は溝口組特有の深いオーバーラップとフェードアウトとフェードインになっています。溝口組ではシークエンスのチェンジは深いオーバーラップでワイプやカット繋ぎのような編集上の小手先技術は絶対に使わないのです。

7.紫野今宮神社境内

 1)ここのシーンは「やすらい踊り」を背景としての芝居です。「やすらい踊り」については、このホームページ内に資料を掲載しています。
   その一部を再掲載しました。

①宮嶋八蔵と鍋井敏広で絵巻物より写して青写真にした「やすらい踊り」


     上は筆で写したトレース原稿「やすらい祭」 下は上からとった青写真


2)ここのチャンバラ場面は殺陣師は使っていません。長刀の使い方は事前に三田村女先生(大分お年を召され ていたのですが、その声は演技研究所を突き抜けて斜め向かいのステージの中までにも聞こえる響きでした。本物の武芸者の掛け声の鋭さに驚き入りました。市川雷蔵君、林成年君の立ち振る舞いも金剛流の小寺金七先生から教わっていたものです。小寺先生は溝口監督のサロン山賊会のメンバーです。

*殺陣師を使うと約束事の形だけの美しさで斬り合いのリアリズムからは遠くなってしまうのす。

8.比叡山・延暦寺・講堂・講堂の前

1)神輿振りとは延暦寺の僧徒が、強訴のため、日吉神社の神輿を振り動かして朝廷に迫ったことです。神輿振りは上層の僧侶のセリフにありますのでシナリオをそのまま写します。

2)講堂の前での上層の僧侶のセリフ

 如空「… 当延暦寺が奉じる日吉山王の神輿には、歴代のみかどの御霊を封じ奉って
     いる。さればこそ、 皇室に於かせられても神輿を敬われること篤く、又、当山を
     頼まれることも深い。…」
 乗円 「かねて係争中の加賀白山の荘園をも、一言の断りもなく平氏に賜うのみか、  
      再三にわたる訴願をも、うちすてて顧みられぬ院の御態度もまことに、心得難い」 
 実相 「所領の者どもは、もとの土地に帰ることをたのしみに、窮乏に耐えている。見殺し
           には出来んぞ。」  
 如空 「詮議の眼目は、強訴に向かうのか、止むか。二つに一つじゃ。忌憚なく申された
     い。 応か、否か」  
 映範 「もはや会議は無用だ。神輿振りをお見舞い申して、青公家とへろへろ武者の肝
     を とりひしいでくれよう」

3)「神輿振り」の裏話 
神輿振りはご先祖に対する畏敬だけでなく、神輿が居座っている間は、天皇家とその一族は、一睡もすることも出来ないで祈り続けねばならないからその苦痛が辛くて恐れられ神輿の権威が身に沁みたの です。


9.院の御所の謁見所
  
 1)①殿上人は皆、笏を持っています。笏は天皇や上皇にお会いして奏上申し上げる時にそのメモを書いたカンニングペーパーを貼ったものと言われています。
  ②笏の取り扱いには難しい作法があります。今も笏を使用している人は神社の神主さん宮司さんです。

  下後霊神社の出雲路宮司に教わりに行きました。この宮司のお父さんは古事類苑(日本最大の百科史料辞典。本文1000巻、洋装本51冊)の著者です。この本の部分は溝口邸にも有りました。この時の宮司は国学者でありますのに洋書に囲まれて居られまして、「お供えものだよ。君も一杯頂きなさい。」とお酒まで御馳走になりました。宮司は洋書の中から一冊取り上げて、「これは、なんだか分かるかい」と言われます。本には、「ODD ON LOVE」と書いてありました。私は「そこそこな……中途半端な恋愛ですか」と言うと「まあそんなとこだ。この本も持って帰りなさい。」とその洋書まで頂戴いたしました。

2)この場面の台本の隅に私の意見が書いてあったのでそれも次ページに紹介しておきましょう。 



014-1   黒板システムで訂正された内容を宮嶋が写した台本


014-2   黒板システムで訂正された内容と私の思い


014
3 北面武士 

 ・公家の荘園を守る為に、平家のように外敵に当たらせた地下人の武士でなく、 院の御所を守る近衛兵がいます。(四位、五位の者を上北面、六位の者を下(げ)北面と言いました。

  3)この時代の殿上人は源氏物語に観るような、ひ弱な内向的人物ではありません。 当蔵人(とうのくらうど)という宿直番を行ってこなければならないのです。 その仕事は重い蔀戸を突き上げて天井から吊下ろした鍵フックに引っかける仕事です。 いかに重くて堅牢な筋肉を必要とするかが判ります。その力は決して地下武士に劣るものではなかったのです。1995年6月16日(金)の毎日英字新聞でアメリカ人記者からの質問に答えた私の記事として蔀戸と大きな木の開き戸とを間違って書かれていました。それだけでなしに間違って伝えられた箇所もいろいろあります。

  この新・平家物語のここの場面で、頼長が武士の頭領である忠盛を笏でぶんなぐるのは権威だけでなく腕っ節の自信もあったのでしょう。

 014-4 「新・平家物語溝口組資料集の中の平安時代の文様」より

 4)清涼殿の表廊下の隅仕切り板の上に、モダンな模様の欄間のような飾りが付けてありました。溝口先生はそれを見て「あれはモダンだね。水谷君(美術監督)の創作じゃないか」と私に問われました。「あれは、後々では元禄模様と言われましたが、霰(あられ)摸様と言ってこの頃の模様です。中にあるのは瓜を二つに割った模様で瓜(くゎ)もん章と言われています。水谷先生の創作ではありません。」と答えました。先生が又尋ねられます。
「出典は?」私「日本紋章学です。」と答えて納得して頂きました。

10.蝙蝠(かわほり)の由緒

前に説明しましたが、京の古典的扇子、大体が女官の持ち物で、夏は飾り房の小さい檜扇、冬は蝙蝠(かわほり)という事になっています。


15-1  白河上皇より忠盛に下された蝙蝠(かわほり)

  ①この蝙蝠には上の句は忠盛、下の句は白河上皇が詠んだもので、清盛が皇族の一員である事を示している。
  ②このあたりのシチュエーションは、台本からのセリフを写しますのでそれから推察して下さい。

 [決定稿の元台本]

泰子 「平太、あなたは、白河様のお子です。………忠盛どのがなくなられた今は、打ち明けても、差障りはない でしょう。………これを、御覧なさい。」 
 清盛の顔色が激しく動く。時子たちも、はっとした表情である。
清盛は扇を受け取って、ひらく。そこには、墨跡も古びて、─ 旅の道のべに、御くるまを止め給ひける折、白河の君の、汝(な)が宿が零余子(ぬかご)は、と問いはせ給ひけるに、いもの子もいつしかつるにはい出でぬ、ただもり、そだて、家垣とせよ ─ としるされてあり、上の句と下の句は、筆跡が違う。

泰子 「この扇の御歌は、忠盛殿が白河の君からいただかれたおかたみです。上の句は忠盛殿、下の句は 白河 さまの御手。御歌を拝見すれば、白河さまのお血をうけたことが、はっきりと判りましょう。……忠盛殿が、ご臨終にそれを握っていられたのも、お前に父御のことを知らそうとなすったのにちがいありません。…… 」 
 [決定稿を訂正した台本 ]

            泰子は、焼香を終わり、一礼をすると、霊前の扇に目をつける。
  泰子 「 …… これは 」
  清盛 「 …… ご臨終の折、手ににぎっておられたものです。」
  泰子 「ご臨終の折 …  お手に ……」
        と、泰子は、感動したものの、如く
  泰子 「あなたは、この扇に、どんな由緒があるか、御存じですか」
  清盛 「知りません」
  泰子 「忠盛どのがなくなられた今は、打ち明けても、さしさわりはないでしょう」
      泰子は、扇をとり、開き見せ
  泰子 「この御歌をごらんなさい。上の句は、忠盛殿、いもの子もいつしかつるにはい
             出でぬ 、下の句は、白河さま、ただもりそだて、家垣とせよ……判りましょう… 
            1つ歌をお二 人で詠ま    れて、そなたの血筋のあかしに残されたのです。」
  清盛 「… … 」
  泰子 「平太、あなたは、白河さまのお子です」
       清盛の顔に瞬間、動揺が起こるが、それはすぐ消える。
  泰子 「忠盛殿が、ご臨終にお手にしておられたのも、まことの父を知らせておこうと
             なされ たにちがいありません」
  清盛 「 … …」
  泰子 「さ、一緒に参りましょう。このことを申し上げれば院でも、御所でも,そなたの身
            に指 をさすものはありません…  さ、お立ちなさい」
         清盛は動かず、きっぱりと、
  清盛 「わたしは、天地の間に生をうけた一個のいのちです。頼むのはこの清盛一人
             です。 この五体の他は、何ものも頼みませぬ」  
             泰子は、色をなし
  泰子 「わたしが、お前を思うこのこころを、うけぬと云うのですか …  やんごとなき
             ゆかり をも、うち捨ててあさましく野垂れ死をしたいのか」
  清盛 「あれほど白河さまにつくされた父上が、どの様な仕打ちをうけて、どうして死ん
             で 行っ たか、母上はご存じあるまい。… わたしの体内に、白河さまのお血が
             あるもの なら その血をのこらず、叩き出してやるのだ」 
             泰子は、仰天して、おそれおののき
  泰子 「恐ろしいことを……平太……」
  清盛 「お帰りなさい……だれかいるか、母上がお帰りだ  お見送り申せ 」


11・神輿に矢を放つ 

   ① 神輿振りに出る所を清盛が制止し、神輿に一矢二矢と打ち込む場面(裏庭で弓を打つ練習場面など)弓道関係は役者の南部彰三さん(弓道三段、元旧制中学教師)の指導ですが映像のタイトルには載っておりません。
   ② この頃の鎧通しの矢は矢じりの鉄の心棒が矢の竹筒一杯の長さで重いものですから非常に臂力を必要とします。今行われている三十三間堂の通し矢の矢数もこの頃の通し矢の矢数 とは比べるわけにはいかないのです。
   ③ 神輿の屋根の装飾の鳥は、鏑(かぶら)矢で足を狙らえば吹き飛ばせます。
 神輿の前の御神鏡は鋳物を磨いたものですから、鎧通しの矢は突き刺さる訳がありません。矢は鏡面に傷を残しただけで落ちるはずです。板鏡にして突き刺したのは神輿の権威失墜の効果を狙ったものです。黒沢監督の映画にも人間を閉じ込めた大きな陶器の甕を割った時、甕が砕け散らないで切ったように二つに割れていた作品もありました。

12.大ラスト

   ①  清盛の母、泰子は、白拍子の宿、今でいえば、超高級芸能お茶屋(溝口作品の祗園囃子を思い出して下さい)の主となって三位の上級お目見え公家(四位、五位以上)に取り入っている野遊 びを清盛が見て… 「公家どもめ、踊りたいだけ踊っていろ、お前たちには明日はないのだ。明日はおれたちのものだ。」と御所関係に対する武家の憤怒の絶叫で終わっています。

   ②  溝口監督はこのような絶叫を最も嫌う監督です。映画のエンドは先の野遊びの場面で、清 盛 が「母上は、とうとうもとの水に戻られたのだ。… ああして思うままになされるのが、一番のしあわせであろう」と云ったところで芝居は終わっているのです。この絶叫編については初号試写の、ラストの雷蔵さんのセリフが残っているうちから、溝口先生の独り言のようなつぶやきを聞きました。「いやだねえ、荒っぽいねえ、絶叫編かぁ 」こんなことを二三度おっしゃったのを、いつも監督にへばりついている私には聞こえたのです。あれだけ一生懸命、歴史と風俗を調べてオールスタッフが原作者の吉川英治さんとも勝負をしてきたのに……いつもの溝口先生と違う様子に悲しくなって「先生、なぜ、そのような事をおっしゃるのですか」とお尋ねしますと「絶叫は、芝居ではないのですよ。思いは芝居で出すのです。清盛が入道になって御所関係に力をのばして無茶苦茶をやりだす…そこまで追わなければ本当の人間は描けないのです。」とおっしいました。溝口監督は初号試写をみておられる時も自分の作品にも引いた眼で観察反省しておられたのです。

 この作品の市川昆監督の批評は「こんな素晴らしい映画はない。感動した。」と市川組の作品(破戒)の助監督についた時に聞きました。

   ③市川雷蔵さんと勝新太郎さんは「花の白虎隊」という番組埋めの映画に一緒に出演していました。市川雷蔵さんは、この「新・平家物語清盛編」の作品でリアリズムの芸術スターという道を開きました。勝新太郎さんは目標を「近松」以前の長谷川一夫さんに絞って長谷川さんの二枚目ぶりを真似ていたものですから、雷蔵さんより少し遅れて「蚊喰い鳥」というリアリズム映画(音楽なしの効果音ばかり…)でスターダムに乗り「悪名」と「座頭市」で地位が固まりました。

  ④まだまだ言い残しているのですが、別の機会に述べたいと思います。


02         015-2   新・平家物語撮影終了スタッフ記念写真

03_2        
 015-1  「新・平家物語清盛編」で大ロングモッブシーン
           

 画面中心に黒いシャツを着て子供の仕出しを送っているのは土井サード助監督、溝口監督の横でマイクを持って監督の意向を伝えているのはフオース助監督,  内弟子の宮嶋です。

.今後のホームページの方向

 ・溝口作品の大阪物語は溝口監督没後、吉村公三郎監督になりましたが、その思考や演出法があまりにも溝口監督製作法との違いが深いので私は、この作品を降りる事になります。この作品については、大映京都撮影所における溝口監督製作システム崩壊の下りで述べたいと思っています。
 ・私がついた芸術作品(破戒、千代田城炎上、華岡青洲の妻、歌麿をめぐる5人の女、などなど)娯楽作品(孫悟空、たぬき御殿などなど)にも溝口監督に教わった助監督の仕事を効果的に残しておりますので、そういうものについても触れていきたいと思います。


    

 

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